前回の雪渓の上での転倒のその後は、
(ちょっと、ブログに書く気が起こらず、日にちが経ってしまった。だけど、入院していて暇なので、振り返ってみることに。それに、お世話になった人が、読んでくれたらという微かな期待)

転んだ後、劇痛のため暫く雪渓に横たわる。ストックを取り出し立ち上がろうとしたが、どうしても立てない。テーピングすればいくらか違うかと思い足首を固定する。靴もきっちり紐で締めた。
ところが、更に痛みは増すばかり。
同行の友人には、小屋に荷物を置いてきてから助けに来てと頼む。
{342A0790-3B01-4B4B-929B-881FDAEC8019}

ここに、一人。
16時も過ぎて来たので寒い。
ふと、熊が出て来たらなんて考える。
ひとりで立ち上がるのはとうてい無理、ザックの中にレジャーシートが入っていたので、それを取り出し、お尻に敷いてお尻滑りをして雪渓を下る。
霧も出て来た。視界も悪くなって来た。もし、雪渓を下り過ぎて、救助に来てくれたひとに発見されないと危ない。
GPSで現在地と小屋の位置を確認する。小屋は雪渓を渡りきった先だ。
とにかく、ここでは、運ぶ人も大変だからお尻滑りを続けよう。
そう判断し、尻滑り。
ところが、気をつけないと、スピードが出すぎてしまう。右足は全く使えないので、左足踵でコントロールしながら下る。それでも、何回か滑りすぎてどうにか停止した。
雪渓が終わりが見えた辺りで、友人や小屋にいた人たちが来てくれた。
ホットした。
だが、その時点で、私の体は冷え切って震えが止まらない。着ていたダウンを貸したくれた。(汚れたまま返してごめんなさい)
私の荷物を運んで下さったり、抱えて下さったり、おんぶしてくださったり、電波の通じるところまで携帯を持って走って下さったり、などなど。
だけど、足場の悪い山道、木道。
二次災害を起こしてはいけないと考えてしまった。
特に足場の悪いところは、もう、ハイハイやお尻歩き、
最終的に2人の男性におんぶしたり、頭と足を持って運んでもらったりという状況で小屋に到着。
電波は通じないので、翌朝化雲岳まで登れば電波が通じるだろうとのことで、小屋で一晩過ごすことに。

この夜は、一段と冷えて、寒い寒いと同宿の人たちは言っていたが、私は痛めた足がアイシングできると右足は素足のまま。
緊張感なのか、熱を持ってたからなのか、寒さもあまり感じなかった。

こうして、夜が明けるのをまった。
ヒサゴ沼のあたりはナキウサギの生息地だという。夜明けに聞こえたあの声。
あの鳴き声はナキウサギだったのだろうか。

8月29日、ヒサゴ避難小屋に泊まっていた
北海道在住の沢登りをなさっていた方々、鹿児島在住のトムラウシから下山して疲れているのにおんぶしてくださった方、長野の学生の方(翌朝、早く出発なさったので、ちゃんとお礼も言えなくてすみませんでした。)そして私の友人
本当にお世話になりました。
みなさんに助けられました。
ありがとうございました。

今になって振り返ってみると、私はいつもはストックを常に使っている。だが、大きな岩場の続く今回の登山では、ストックをしまっていた。
あのとき、雪渓を渡るのに、なぜ、ストックを出さなかったのだろう。
ストックがあったら、きっと、骨折は免れたと思う。

私のトムラウシの縦走はここで終止符を打った。