35年ほど前、個人旅行自体がまだ珍しかったくらいの時代なのに、
どういうわけか私の周りにはインド長期滞在帰りの人がやたらと多かった。
彼らはインドの神様スカーフや数珠などといっしょに普通の日本人とは少し違う価値観を身につけていた。
何となくあの世とこの世の中間にいるような、神様と同居しているような。
彼らをそんなふうに変えたインドってどういう国なんだろう?
ヨーロッパへの途中インドの上空を通るたびに、いつか自分はここに降りるんだ、と思いながら眺めていた。
その後、願いがかなってネパール人の友達が帰省する時、
友人何人かといっしょにわいわいついて行き、インドにも行った。
全財産を盗まれ散々な旅だったが、やはりまだインドが気になっていた。
5年後、1ヶ月間ラクダのキャラバンでシルクロードを旅し、
その帰りにラクダ仲間といっしょに再びインドを旅した。
この時はインドの扉が
ドカン!
と開いてガラガラガラとそれまで無意識に持っていた自分の価値観が変わり、人生観が変わった。
帰国すると風景が一変し、ずっと前から知っている人たちが皆、初めて会う違う人のように感じた。
私はますますインドに魅かれた。
それからラクダ仲間の1人がお四国の歩き遍路に出かけ、その話を聞いて私も遍路に出かけ、
2ヶ月半毎日10時間歩いていると細くてカモシカのように美しかった自慢の脚はがっしりと太くなり、
しかし強くなったので、それから山歩きが趣味になった。
それで山の会に入って週末ごとにあちこちの山に行っているともっと高い山にトレッキングに出かけたくなり、
ヒマラヤに行った。
高度3500メートル程度のところで高山病になったがそれで体がある程度慣れたようだ。
その後、インド側からヒマラヤの聖地ガンゴートリーに入った時またしても風邪を引いて寝込んだが、
療養中にシャンティというツーリストに出会い、彼女に誘われて、そのはるかかなたにそびえる山に登ることになった。
そうして2日間歩いて行った標高5000近いそこには、サドゥ(聖者)が暮らしていた。
サドゥは、一日中瞑想して過ごしていた。
洞窟で暮らしている彼の持ち物といえば、
川から水を運ぶためのカメ、命をつなぐための米と小麦と少しの野菜、調理の道具、
そして寒さをしのぐための毛布と布団と薪くらいのものだった。
息を切らしてそこへ着いた時、私を見るなりサドゥは「もしもし!」と言って手を振り、満面の笑顔で迎えてくれた。
顔を見て日本人だろうと思い、唯一知っている日本語で心からの歓迎をしてくれたようだ。
そこはパワースポットとして知られていてインド中から瞑想目的の人が集まって来ていた。
全ての日常から切り離され、四方を雪を頂く山々に囲まれた非現実的な美しい平原。
晴れた日には手を伸ばせばふわりと雲がつかめそうで、
夜になると何の音もない澄み切った空間に満天の星が輝いて、悲しくなるほど美しかった。
サドゥはとても明るくて、いつも元気いっぱいだった。
まるで光そのもののようだった。
瞑想を学ぶためにサドゥの弟子になって住み込みで働いている女性は、
「私はババ(先生)と暮らしてもう3年になるけど、ババはいつもエネルギーに満ちあふれているの。
体調を崩したり何かを悩んだりしているところは一回も見たことないわ」と言った。
人間というのは、ああ言われたから腹が立ったとか、こういうことがあったから悲しいとか、
外で起こった出来事にいつも影響されて心を波立たせている。
そしてあの時こうすればよかったとかいう過去の出来事と、
こうなったらどうしようとかいう未来の出来事の中で心を乱しながら生きている。
だけどサドゥは外でどんなことが起きようとそんなことには関係なく心の平和を保ち、過去や未来にとらわれずに、
常に「いま、ここ」に生きているようだった。
まるでそこに宇宙のエネルギーが顕現しているような感じだった。
ただ あるがままに ある
まさに今、まさにここに自分は存在している。
今、ここには後悔も心配も不安も何もない。
今、ここに確かに生かされている至福の自分がいるだけだ。
サドゥの、全く揺るがないその孤高の姿がとても美しく、現実のものとは思えなかった。
そういう人間がこの世に存在しているということが、衝撃だった。
そうだ。私たちは「いのち」そのものなのだ。
後から思えば、それまでの私の旅はすべてここにつながっていたように思う。
あのサドゥの、突き抜けた笑顔。
そこには、ありのままでただ宇宙の至福の中に溶け込んでいる人の姿があった。
宇宙はサドゥを生かすためにそこにあり、サドゥは宇宙そのものだった。
宇宙が存在していることも、
世界が存在していることも、
自分が存在していることも、
ありがたくてたまらない。
宇宙ははじめから存在し、自分もはじめから存在していた。