私は夫の赦せない行動を『もう許さん!』と思って離婚届けを初めて取りに行ったことがある。
その後家出、家庭内別居などなどを繰り返し、承認欲求を得たいと心が殻に閉じこもっていたような私、
自分にばかりベクトルが向いていた私がいた。
その間、kindle本を編集することにのみフォーカスするようになったことで、
『離婚する』と思っていた私の心が、私の中から気づいたら消えていた。
私はHSP又はエンパス特性があることによるデメリットが上回り、
職場内での利用者への共感力が高すぎて、
利用者への支援のひどさに許せなくなり、
「これは虐待とパワハラだ」と思うようになり、結果
私の肉体に病魔が・・・・
私は顔面神経麻痺、動悸が1か月前から出てきて・・・・
とうとう私は職場に行けなくなった。
私は10日間死んだかのように寝込んでしまった。
TVドラマを観ても泣く。アドラー心理学やマインドアップのYouTubeを観ては自責の念に悩まされ、落ち込む。
夫に「もうだめだ、私にパワハラする奴がいるって、エリア統括に電話してほしい。」と頼んだら
「電話だけじゃだめだ、エリア統括に一緒に会いに行こう。」と言ってくれた。
エリア統括に会いに行き、「それは〇〇さんに対してのパワハラ案件ですね。課長に報告します。」と言っていただき帰路の途中
夫は私にこんなことを言った。
「パワハラする奴のことはもう無視して関わるな。バカな社員のことも分かる、でも自分が楽にできるからと言ってそのバカな社員にお前ができることを期待することは止めた方がいい。」
そんなこと100も承知・・・・
と思っていたが、思っていたとしてもそのマインドを行動できるかは別もの。
私にパワハラするサビ菅だけではなく、
利用者の障害者理解が分かっていない社員に腹が立ち、
私の対応をバカな社員に会社は上司はなぜ社員教育しないのか!と怒りが変な方向に向いてきてしまった。
そう
私ができることは私がしたいことをする、ただそれだけで
他者を変えることはできない
それもこれも100も承知していた。
でも
体調不良になって良かったことを発見した。
私は私が良いと思うことを堂々とすればいい。
私は他者の行動を受容しなくても、受け流せばいい。
私は利用者から愛されていてそれが幸せだが、彼らの家族にはなれない。
利用者が傷ついたのではなく、私が傷ついてしまったことが事実だ。
でも
私には傷つかない選択肢があることを忘れていた。
余裕がなくなり、ユーモアのセンスが欠落していたことに気がついた。
私はエリア統括との面談の帰り車の中で
夫と会話していて、私は彼にこう言った。
「あの時のあなたの言動は許されるものではない、でもそんなことをするあなただけど、今日はあなたが一緒に面談に付き合ってくれてありがとう。あなたがいてくれて私は助かった。離婚しなくて本当に良かった。」
そう言ったら、「俺が悪いんだ、ごめんなさい。」と即座に夫が謝った。
kindle本の1冊目『他人に左右されない16のヒント』
この本を出版して7か月が過ぎたにもかかわらず、まだ他人に左右されている私がいた。
私はもうすぐ60歳の誕生日を迎える。
残りの人生をどう生きるのかは私次第。
劣等コンプレックスとか課題の分離とか・・・・・
アンガーマネジメントで深呼吸、3秒ルールとか・・・・
kindle本出しているのに、ダメだな~~~~
なんて過去の私ならそう思っていた。
けれども、
今の私は違う。
そんな私を抱きしめて、愛したらいい。
やっぱり繊細さんの素敵な面や
発達障がいの持つ可能性や
障がい者と健常者ってラベリングする無意味
そんな目線は私にしかできないって思って
これからも私らしく発信していけばいい。
またメンタルが壊れたとしても
その壊れたことからメリットも確かに生まれるってことを今回知ることができた。