膵臓癌ステージ4の母を
6月3日に実家で看取りました。



大学病院で「膵臓癌」だと診断され
「余命数ヶ月です」と宣告を受けたのが3月6日

母が自分の身体に異変を感じたのは
2018年の11月頃。


異変といっても、当初は
「なんだか胃が痛いなぁ」という程度。

母は世界の児童書や
本の読み聞かせの研究に携わりつつ
地域の文庫を作ったり、
絵本の大切さを講演会で説いたり
学校から招待され子供達へ本の朗読をしたり
研究に関係する
様々なボランティア活動にも精を出し、
おかげで老若男女の幅広い年齢の方々から
大変慕われていて、

それでいて多趣味だったので
闘病するまで英会話も20年以上通っていました。


そんな母を誇り高く想う反面、
毎日を忙しく過ごしていた為
病院へ行くのが遅くなってしまっていたのは事実。

そして「胃」が痛いと病院へ行くと
病院では「逆流性食道炎」だと誤診されたり
でも薬を飲んでも良くならない…からの
⇒ 検査 ⇒ 結果 ⇒ 原因不明
検査 ⇒ 結果 ⇒ 原因不明…

…と、なんとも
今年の2月まで無能な医者にかかってしまい
適切な検査も受けられず、結果も出ず。
長期間なんの改善もなく
ムダに痛みが増し時間だけが過ぎていきました。

当初、11月初め頃に電話で「胃が痛い」と
母が言っていたのですが、
病院にも通っていたし
スグに治るだろうと思っていたのに

12月に入っても「まだ痛い」と言ってたので
「病院変えてみて」と私は話していました。


2019年を実家で迎える為、
年末に札幌から家族4人で実家へ帰省。
その時、母は
「胃の調子はそこまで良いわけじゃない」
と言いながらも、兄家族と私の家族と両親と
合計10人で楽しく食事もできていました。


しかし


1月頃から耐えられないほどの痛みが増し
児童書の研究も
ライフワークとしていたボランティア活動も
趣味の英会話もお休みするようになり…

2月末に大学病院へ転院。

最初にかかっていた個人病院の医者は、
ハッキリとCTを見ながら
「良かったですね。
膵臓癌も疑ったけど
膵臓癌ではなさそうですね」と言ってました。

なのに。

大学病院にて同じCTを見せると
「え、これを見て
膵臓癌ではないと言ったんですか!?」
医者が驚くような発言。


要は個人病院のあのヤブ医者は
かなりの無能な医者だったという結果。


そして2月末から大学病院での検査を受け、
3月6日に「余命数ヶ月」との宣告となりました。


体調不良から余命宣告まで
僅か4ヶ月。


「膵臓癌」はネットで検索してみると、
原因として「糖尿病」や「肥満」
「不規則な生活」などが
関係してくるみたいなんだけど、

母は普段から洗剤1つにもこだわり
野菜も無農薬を農家から直接取引してたり
市販のお菓子も
子供だった兄や私には食べさせないようにし、
常に手作りお菓子だったり
自分もジムにも通ったり…
身体にいいことしかしてきていません。
*この事に関してはまた後日書きます



母は児童書に人生をかけ
ボランティア活動にも精を出し
まさに世の中に
「必要」とされている人間でした。


母の余命宣告を聞いたとき、

「世の中には…何の役にも立たない
老害でしかない老人がのうのうと生きてるのに、
なんで母の様に世の中に必要とされてる
立派な人間が…」

と本気で思わずにはいられませんでした。




そして、この日から…

母の膵臓ガン闘病と、
家族の看護が始まったのでした…えーん



…長くなりましたので、
また次回 続きを書かせてください。
読んでくださった方、ありがとうございます。




続きUPしました…