実は数日前に、お爺ちゃんが緊急入院した、と連絡があり

ここ数日かなり焦っていました。

すぐにでも病院に行きたいけど仕事中だったり、すぐに行きたくても検査が終わらないから行ってもしょうがなかったり。

本当はこんな記事を書くのも暗いしどうかとも思ったんですが、やっぱりモヤモヤするし、書き留めておきたく。
さらには少なからずとも発信できる身である為に、あるが故に綴っておこうと思う。


ずっと引っかかっている事があった。
中学生の時に亡くなった大好きで大好きでしょうがないお爺ちゃんの事。
反抗期真っ盛り。

今となってはまあもう天国の爺さんも落ち着いた私を見て安心するだろうと、これがじいちゃん孝行だというような生き方が出来ているけど。
だから引っかかってるというよりは、まあ私のじいちゃんだし、血が繋がったじいちゃんだし、超愛されてたし、今頃安心して笑ってるでしょうねって思ってる。

ただ当時は本当に反抗期がひどくて。
末期の膵臓癌で入院したじいちゃんは手の施しようもなく、思い返せば私以外が全員お医者さんから状況説明をされている状態で、
誰にも何も聞かなくてもこの先どうなるかくらいわかってた。

のに、

なのに、入院してる時の私の態度ってどうだったんだろうなとふと思う時があった。むしろその前からの態度ってどうだったんだろって。
あまりにも急すぎて、大切に出来てたかな、ちゃんと沢山話せてたかな、って。

理解はしてたけど感覚的にはわかってなかった、人の死とか。

当時はね。


記憶を引き出すとお葬式とかお通夜のことばっかり思い出せる。
ただ、中学に入学して「これ制服だよー!」とかって言ってまだ裾上げもしてないダサい長いスカートを見せたのも思い出せる。
ガラケーのゲームの使い方とかあれよくわかってなかっただろ絶対。
そのガラケーは御守りとしてわたしがまだ持ってる。

だんだん、喋れなくなる。

その時から私はどんな態度だったのか、、って思い出したくないから思い出さないように引き出してを閉めます。



と、うちには事情でお爺ちゃんお婆ちゃんが三人ずついたんだ。今生きているのはお爺ちゃん二人とお婆ちゃん三人w

その中のお爺ちゃんが緊急入院。
結論から言うと腎臓の調子が悪かったみたいなんだけど、透析治療とかにはならないみたいで今日退院しました。


同時に、そのお爺ちゃんと一緒に住む、私とは血の繋がりはないお婆ちゃんの癌が発覚。
まだ詳しい検査結果はまだ出てない。

お爺ちゃんは退院しても今お家で一人。

「大丈夫だろ」って言ってるけど。








会いたい時に会っておかないと、時の流れには逆らえず、いつまでも皆若くなく、自分も年齢を重ねていけば親も重ねていくのが当然の摂理であり自然の摂理で。

当たり前のことなのに。
忘れるんだよね、こういうことを私は。

緊急入院したって聞いて、一気に最悪の事ばかりを考えて焦って勝手に後悔した。
だって今年まだ電話で一回話しただけだったから。

もう本当に忘れないで私。
時の流れに逆らえないのなら、有限の中の時間でいかに自分に後悔なく大切にするなんて自己満の世界でもいいから「私、じいちゃんばあちゃん大好きだよ」って伝えないと。

思ってるだけじゃダメで、いつか時間空いたら会いに行こうだなんて、もうそんなのやめなくちゃ。

いつか必ず誰でも来る、お別れの為に。
出会ったら必ず来るお別れ。


検査結果が出て、私が行っていいタイミングになったらすぐにでも入院しているお婆ちゃんのところに行こう。

こんなに近くに住んでるんだからどの親族も大事にしよう。
むしろ1番身近な家族を大事にしよう、家族だけじゃなくて私の大切な人たち、全員。


会って伝えられる人たちにはちゃんと会って伝えておかなくちゃ。

じいちゃん無事でよかったです。
次はお婆ちゃんの治療法を早く聞きたいです。治るなら治ってほしい沈黙の臓器。


会って伝えられる人にちゃんと私は伝えていくよ。


会えない人には?

この場を借りて
「みんなの応援、伝わってるよ。こうやって記事を読んでくれるだけでありがとうって思ってるよ。健康には気をつけて、後悔しないように生きてね。」


詩的になりたくはないんだけどなー。
真面目に書くとこうなる。

宗教みたいな言い方になるけど
【愛は無限に存在する】けど時に人は忘れる。

もう、忘れないからね。

自分が後悔しないために自己満のブログをあげました。

お目汚し失礼しました。



仲良しの父上と淳子💖↓