最愛なる母へ
産んでくれて、ありがとう
育ててくれて、ありがとう
最期、妹が来るまで待って、父と3人で看取らせてくれて、ありがとう
どんな辛いときも、傍に居て、相談に乗り、励ましてくれたね。
私が大きくなってからは、相棒のようだって、周りに言われたね。
父が、毎日、家でごはんを食べるのは、お母さんの料理が大好きだったからって
今頃になって知ったよ。
朝起きて、葬式は夢だったんかなって思うけど、仏壇の前に行ったら
やっぱり骨壺があって、
『あぁ~本当に、この世にはもういないんだなぁ。
家に帰ってもいないし、病院に行ってもいないんだね。』って思ったよ。
未だに実感がなくて、節々で少しずつ寂しさが込み上げてくるかな。
昨日カフェで、母娘が楽しそうにケーキ食べならがら、しゃべっているのを見かけた時、
『もう自分には、一生できないことだな。』 と思うと、無性にうらやましくて、悲しくなってきた。
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2~3月 病気発覚
5月 手術
5~6月 術後、抗がん剤治療を開始するが、効果が出ず、2回で終了
7月 家族4人で、京都旅行(2泊3日)
大学の入学式以来、2回目の家族旅行
8月12日 癌研 有明病院へセカンドオピニオンへ行く
具体的な治療法なし
余命3~6ヶ月と伝えられる
9月前半 実家・横浜へ遊びに帰る
ディズニシー、箱根 小涌園、日本再生酒場(立ち飲み屋)、ビルボードライブなどへ行く
後半 私が実家へ帰る
友達と梨狩りへ行ったり、整体を体験。
10月1日 転院(緩和ケア科へ)
半ば 呼吸困難のため、緊急入院
以後、入退院を繰り返す
11月 映画『This Is It』を観に行く
これが、私との最後の外出
12月 広島へ実家から両親や友人が会いに行く
12月20日 母の手が、かさかさだったので、ハンドクリームを塗り、
『またね!』と言って、東京へ戻る
これが、自分との最後の会話
12月26日 容態が急変
12月27日 永眠
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今日で、命日から一週間が経ちました。
家の中は、とてもきれいに整頓されていて、
どこに何があるか、貼り紙がされており、普段家にいない私でも一目瞭然で分かります。
葬式の要望から、家の中のことまで、何もかも完璧です。
今でも、家の中にいると、諸所に母の存在を感じとれます。
自分は、死ぬときに、ここまで出来るだろうか。
11月下旬、私が漢方を飲むのを嫌がったとき、
『ちゃんと飲みなさい。飲む前に、良いものを取り入れさせてもらい、
不要なものは、体から出してください。って思いながら飲みなさい。』って言われた。
そのとき、とてもじゃないけど、かなわないなぁ、
まだまだ学ばせてもらうことがたくさんあるのに、って思った。
本当に尊敬しています。
本当に感謝しています。
53年間、お疲れ様でした。
私の自慢のお母さん
お母さんの子供として産まれてきて、本当に良かった。
ありがとう
最愛なる母へ