今日聞いたお話で、

『誕生日=自分がお祝いされる日』ではない。


自分主体で考えると、確かに自分が生まれた日であるが、

別の見方をすると、


『誕生日=お母さんが私を生んだ日』であると。


約10カ月、おなかの中で、大切に育て、

食べものや体調管理など、いろんなことに気を使って、

元気に育ってくれることを願い、楽しみにしながら、やっとの想いで、生んだ日。


だから、本来は、母親に感謝する日なんだよってお話を聞きました。


母が傍にいるなら、『ありがとう』と感謝の言葉を述べ、

もうこの世にいないなら、天国へ向かって、感謝の想いを伝えなさいと。


この言葉を聞いて、涙が止まりませんでした。



私は、27歳の誕生日


27年前、母が私に生を与えてくれた日に


母が死ぬ日を、一人で病院で聞きました。


命をくれた人の生の期限を知り、死を看取る。


生きていて、これ以上悲しいことなんてあるのかなと思います。



自分は死ぬまでに、あと何人看取り、

あと何回、こんな悲しい思いをしなければならないのか。



ふとしたことがきっかけで、こんな風にいろんなことを思い出し、

思い出しては、あのとき、こうしてあげれば良かったなんて、

何年も前のことまで、遡って後悔することの繰り返し。



その瞬間、その時は、自分なりに一生懸命でも、必ず後悔をします。



去年の5月、人生初めての有給を取り、それから長期連休にできそうな時は、

ひたすら有給を取って、実家に帰り、家族との時間を大切にしました。


母とは、毎日メールをして、仕事から帰ったら、まず電話して、その日の様子を聞いて、

休みの日は、今週あった出来事、楽しかったこと、むかついたこと、

たまにお父さんの文句を言ったり、妹のおっちょこちょいな話をしながら

笑って、くよくよしないで、できる限り楽しい時間を過ごしました。



生前、母から

「亡骸には、もう魂が宿っていないのだから、悲しまないように。

くれぐれも、寝ずの番で一晩中、線香なんかあげないように。

そんなことで、みんなが体調を崩すことの方が心配だ。」

と言われてましたが、

それでもじーちゃんは、一緒に過ごす最後の夜、泣きながら一晩中線香を上げていました。

娘が迷わず天国へ行けるように。



私は、母の手術の日、肩を落とす父と号泣する妹を見て、

『母の前では、絶対に泣かない!泣くのは、病気に勝ったときか、葬式のときだ。』と心に誓いました。

悲しい顔すると、母も悲しくなると思って。

だけど、臨終のときは、さすがに涙が止まりませんでした。


自分のできることを最大限に実行し、母に喜んでもらうことに精一杯だったけど、

もしかしたら、もっと母の前で泣いた方が、よかったのかなと今になって思います。

母に「病室の外で泣くなら、私の目の前で泣きなさい」と言われたけど、

結局、二人で抱き合って、わんわん泣くなんてことはなかったね。




「自分が死ぬ時に、どのような終わり方をしたいですか?」と聞かれたら、


私は、「母と同じ病気で、同じような終わり方をしたい」と答えます。


家族に囲まれて、病室には毎日ひっきりなしに、友達が訪れる、そんな終わり方がしたい。

言うべきことを、言うべき人に伝え、自分の身辺整理をし、

最後まで、自分の言葉で話し、自分の食べたいものを食べて、お風呂に入り、トイレに行く。




私との最後の会話は、『またね』だったから、

また会えるってことだと信じています。


海老蔵さんじゃないけど、

『来世も再来世も、そのまた次でもいいから、絶対会いたいし、会えるって信じています。』