尿路感染から前立腺炎を併発して高熱に何日も冒され、いきなり歩けなくなった旦那と私はその後もリハビリを頑張りながら日々を過ごしていた。
リハビリではベッドでの手すりを使い足踏みをしたりサイドテーブルを伝い補助しながらの歩行や訪問リハビリの方々も色んな工夫をして下っていた。
私がする事で変わった事と言えばポータブルトイレでの排便。
介護ベッドからポータブルトイレへの移乗を手伝い用を足す。その後始末。
それは私も初めての事だったけれど旦那の体の動きや移乗への動線を色々考えて動いた。
ポータブルトイレでの排便は私が付いていれば大丈夫だと思ったけれど…私はこの時まだ仕事(パート)をしていた。
私は仕事(自宅の目の前の私立中学校高等学校の用務員)が大好きで大好きで毎日日々感謝しながら働いてきた。
活気ある学校、生徒たちが何気なくしてくれる元気な気持ちの良い挨拶に挨拶を返す、それが本当に嬉しくて日々誇りに思っていた。
学校の一員として頑張らせてもらっている。
毎日背筋がピンと伸びる様な思い。
こんな仕事に巡り会えて感謝の思いで一杯だった。
仕事をしだして間もなく両親の介護生活になったけれど『家の用事を優先にして下さい』とどれだけ助かったか分からない。
この仕事を紹介してくれた娘の幼稚園で知り合った大好きな彼女と足掛け14年働いてきた。
14年の中には苦労もしたり忙しかったり大変だったり、しんどかったりしたけれど彼女とは何故か息の合った仕事が出来て14年の中、お互い家族の悩みや子どもの成長や笑ったり泣いたり、それこそ賑やかに第2の青春を彼女と過ごしてきた。
毎日毎日高校生の様な気持ちで待ち合わせ通学(通勤)していた。
本当に飽きる事無く、いつも何が起こり大爆笑したり。
かけがえの無い大切な仕事だった。
…そんな中での旦那の病気で…当初から何も隠す事無く全て話していた。
そして私は多分これから大変な迷惑をかける事になるから退職しようと思うと彼女に相談すると彼女は『そんなすぐ辞めんでええやん。パパさん第1やから途中でパパさんのSOSあったら抜けたら良いやん。辞めんで良いやんか』とずっと私を支えてくれた。
でも頑固な便秘で便秘の薬を飲んだ次の日の旦那からの着信とともに私は家に帰り旦那の排便の介護をする事になっていった。
彼女に誘ってもらって私には勿体無い仕事に就けたと言うのに最初から両親の介護で迷惑をかけて、まさか旦那の介護の事で迷惑をかけてしまうとは夢にも思っていなかった。
申し訳なかった。
皆んなに甘えて支えてもらって仕事、介護、リハビリ、訪問看護、訪問診療、訪問入浴をスケジュールスレスレに頑張った。
日々感謝の思いで過ごしていた。
本当に自分自身も頑張った。
そして、もうすぐ近場だが次の目標にしていた『びわ湖花火大会』への1泊がその夏に迫っていた。