初めてブログを書きます。

多分最初で最後になると思います。

私の気持ちに整理がつけれます様に。

ただ私の気持ちを吐き出せる場所になります様に。

今年5月に51歳になる私です。

昔々…大昔。
私には17歳から23歳まで付き合っては離れてを繰り返した彼氏がいました。

その彼は高校で1年留年、大学入試に2年浪人、大学になってからも1年遅れてしまっている俗に言う問題児でした。

始まりは高校時代 。
私はごく普通の恋愛経験値などゼロで真面目な高校生でした。
何故だか見た目からして不良気味な彼からの強烈なアプローチ。
からかわれているんだろうと最初は気にしていませんでした。

先生方に刃向かっていたり大人びた事ばかりしていた見た目が不良な彼。
普通で真面目な私はどちらかと言うと彼は近寄りたくない存在でした。

そんな問題児なのかと思えば付き合ってみると見た目とは全然違う彼の素顔。
私にだけ見せてくれるヤンチャで子供の様な彼の素敵な笑顔。
私は彼に全身全霊で恋をしてしまいました。

高校時代、彼が私の側にいてくれたお陰で彼と一緒に過ごす周りの景色が毎日輝いて見えた。

見た目や印象が不良っぽくても彼はとても博学だった。
当時流行り出した洋楽の事も小学生時代から知識を持っていて趣味の読書からも私の知らない世界をいつも熱く語っていた。
私もその世界に引き込まれていった。
彼が教えてくれたグラムロックな世界は未だに私の宝物だ。

彼といる時間が楽しくて嬉しくて幸せで。
彼も私の事を大切に思ってくれていた。
腕を組んだりする事にさえ気を使ってくれたり私を喜ばそうと細かいところまで私の事を見てくれていて色々気配りしていてくれていた。
とてもとても大切にしてもらっていた。

見た目が不良な彼は付き合ってみると本当はとても繊細な人だと分かった。
本当の彼は人の事に細やかな気を使える人だと分かった。
そんな彼の事が心から大好きになった。

私にはいつも飛びっきりの笑顔で接してくれた。とても嬉しかった。
彼の笑顔がたまらなく大好きで。
そんな大好きな人と一緒に過ごせる時間が幸せで幸せで言葉では表せない程だった。
他には何も要らない、生まれてきて良かったと何度も何度も思えた。
周りの事さえ見えなかった、そんな恋だった。

そんな問題児の彼はずっとバスケットボールだけは頑張っていて命って言う程、頑張っていた。

授業はサボりバスケットボールだけをする為に遅い時間から学校に来る。彼は当たり前でそんな風に過ごし私はハラハラしてばかりで彼を怒っても、どんなに叱ってケンカになってもその生活は変わらなかった。
今で言う遅い中二病を拗らせていた。
世の中に刃向かっていた。

あの頃もっともっと真剣に彼を説得出来れば良かったのにと思う反面、その頃はやはりお互いがまだ子どもで2人きりになり恋愛モードになるとそんな話もはぐらかされてしまっていた。
彼と過ごせる楽しさに流されてしまっていた。
真剣に好きだったのにまだまだ子どもな当時の私には彼の生活態度を変えさせる様なそんな力は無かった。
今でもそれは悔やまれる。

結局、彼は高校を1年留年してしまう。

そんな中、彼は高校在学中に高校の先輩の紹介で静岡の実業団チームや静岡の強豪高校のバスケットボールのアシスタントコーチをする事をする事になった。
やっとの思いで入学した体育大学でもそのアシスタントコーチを続けながら2足3足のわらじを履きながらの生活。

そんな彼だったから高校を卒業してからもバスケットボールに傾倒する余り体育大学への浪人も2年に渡った。
留年や浪人を繰り返す彼。何度か付いて行くのは無理だと諦めようと距離を取ったりもしたけれど心に嘘はつけずに彼に戻っていった。

心の底から大好きだった。

結局そんな不器用な彼を含めて全てが好きだった。

彼は何よりもバスケットボールが1番。
彼もそれを理解している私との事をキッパリと切る事は1度もなかった。

大学生になり本格的に専門的にバスケットボールを始めると思い通りには逢えなくなった。

彼は本気で真面目にバスケットボールの指導者を目指し始めた。

そんな中でも私の事を忘れずにいてくれた。

彼に静岡に来いと言われれば新幹線に飛び乗り、恋い焦がれている彼に逢いに行った。

これ程人を好きになれるのかと言うくらい好きだった。
ただ一緒に過ごせるだけで幸せだった…。

あの静岡の夜景、高速ランプが見える景色の中で隣に眠る彼の寝顔を一晩中見ているだけで世界中で1番幸せだと思っていた。
本当に幸せだった。

でも現実に戻ると変わらず彼は多忙を極めていて思い通りに会える彼では無かった…。

バスケットボールさえ無ければとバスケットボールを真剣に恨んだ事もあった。

今思えば普段当たり前に逢えない彼だからこそ逢えた時の喜びと言うのはきっと何倍も何倍も嬉しくて幸せだったのかも知れない。

それでもやっと、やっと、
『もう何処にも行かへんから』 
『一緒になれたら良いな』と言ってくれた。
その時は嬉しくて幸せで幸せで。
世の中の景色がキラキラして見えるくらいに幸せだった。

でも付き合い方は変わらず いつも彼を待つばかりの生活。
いつ逢えるか分からない彼を待つ毎日は寂しくて辛く悲しい日々。

間を空けられれば空けられるほど人より何年も遅れている大学生にかたや高校卒業から安定したそれなりの企業へ就職し、社会人をしていて18歳の終わりから自活している私で…彼に未来を望むのは無理があるのかもと自問自答していた毎日だった。

こんな専門的にバスケットボールをしている人に果たして本当に私は付いていけるのか?色んな葛藤があった。

彼はどんな形でもバスケットボールで生きて行く。それは分かっていたから私が足手まといになるのでは無いか?

私が彼のバスケットボール人生の邪魔にはならないだろうか?…それが1番の葛藤だった。

逢える時は続けて逢えるけれど逢えない時は本当に放ったらかし。数ヶ月逢えない時もあった。
電話の1つも無い状態。
『バスケットボールに没頭している時には他の事を考えたく無い。考える余裕が無い』と言われた事もあった。

私は彼を、彼はバスケットボールを…真剣だからこそ辛いしんどい恋になってしまっていた。

逢える時は何度も私の仕事帰りを待ちぶせしてくれて、一緒に買い物して、一緒にご飯を作って一緒に食べて、楽しいお酒を飲む。
私の膝枕でテレビやビデオを見たり。
一緒に歌を歌ったり。
一緒にピアノを弾いたり。

彼が夢中でするバスケットボールの話を彼の腕の中で一晩中聞く…幸せ過ぎる時間だった。

男女の関係など二の次だった。
私もそんな関係などどうでも良かった。
たまに彼は酷く疲れ切りボロボロになって私に逢いに来ていた。
そんな関係にこだわらず彼が私を求めて逢いに来てくれる。
それは彼の高校時代からの色々な悩みやバスケットボールでの真剣な葛藤や疲弊、それを間近でずっと見守っていた私が少しは慰めや癒しになれていたのかな?
そんな気持ちだった。
少しでも彼の役に立てればそれだけで幸せだった。

だからこそ一緒に過ごせるだけで顔を見れるだけで話が出来るだけで最高に幸せだった。
ただ一緒に居たかった。

彼の大学と私の家との距離はかなり離れていた。その上に彼の多忙な毎日。そんな合間を縫って時間を作ってくれていた。
それは彼は彼なりに私の事を忘れずに大切に思って向き合ってくれていたんだと思う。
それは今になって感謝しか無い。
ただ逢いに来てくれて一緒に過ごせる。
それがどんなに嬉しくて幸せな事か。

昔はスマホなんて便利な物は無かった。

唯一手紙のやり取りは間が空いても出来る状態だった。
私たちはお互い手紙を書く事が大好きで 何度も何度もやり取りしていた。
忙しい中、空いた時間に少しずつ手紙を書き溜めてくれては送ってくれていた。
そんな時は私だけの事を思い浮かべてくれているのかな?そんな大切な物だった

電話も嬉しかったけれど私たちにとって手紙のやり取りと言う物は高校時代から大切で特別な物だった。
手間が掛かるからこそ大切な物だった。

でもやっぱり逢えなくなると彼は私との将来をちゃんと考えてくれているのか?それさえも分からない。

周りの友達も彼の事を知る同級生の親友でさえ私の事を心配してくれてみんな口を揃えて止めた方が良いと言った。
都合の良い女になるなと。

だから彼の事を忘れようと諦めようと思った事も何度かあった。

こんな私にも好意を持って交際を言ってくれる方が何人かいた。その度に「好きな人がいます」と断っていた。 
でも結婚を前提にと真剣に言ってくれる人とは数人デートしてみたり雰囲気に流されキスしたりもしたけど…やっぱり違った。ダメだった。無理だった。
今はあの人をまだ想っていようと思った。

当時は25歳で結婚出来ない女性をクリスマスケーキ、売れ残りみたいな風潮があった。実際私の周りも22歳あたりから続々と結婚していった。

私は子どもが大好き。私もいつか結婚して自分の子どもを産んで家庭を持つ。
それは私の夢だった。バスケットボールに夢中になっている彼にそんな話を持ち出せる訳が無かった。

こんな彼を待ち続けていて彼に捨てられたら私は家庭なんて持てないのじゃ無いか?そんな思いが心の片隅に少しずつ出てきた。

彼の23歳の誕生日の日、時間の合間をぬって私の元に来てくれた。
本当に嬉しかった。

でも私はこれから彼からの連絡が3ヶ月以上無ければ…次に進もう。

そんな風に決意していた。