犠牲になりすぎ! | ペッカプのブログ

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教会でために生きろ!と言われて、信者は自分や家族も顧みないで実践してきた。何十年だから、身に付いた習慣は簡単に直らない。災害の時も親族や子供達を心配して、まさか自分達が一番危ない所にいたのもきずかなかった。そのあともなけなしの物を人に差し上げたり、人を車に乗せて往復したり、そんなことばかりしてきた。気がついたら、家族がおきざりに!なんていつものことだ。こんな生き方はよいのかわからなくなった。お父様も家族が犠牲になり、結局幹部達に利用された立場になってしまった。最近自分も 人のために生きるのは悪くはないが、利用されたような感じを受けてしまった。ある人は病院の夫を抱えていたのに、皆のためにお風呂に行く運転をいつもしていた。疲れが出たのか、人にあわせていたら、ある場所で、転んで、頭を打ち、命は助かったが半身麻痺になつて、今でもリハビリをしている。その場にいた関係者も今では何も言わなくなるし、心配もしてないような無情なやからだ。家族はどれほど悔しいやら!人のためにあれこれするのは悪いことてはないが、自分自信や家族のことを置き去りにして無謀としか思えなくなりました。自分、家族、みんなが犠牲にならなくても生きれる方法を模索しないといけません。昔学会の人がそこに真理(学会の真理はナンミョウホウレンゲキヨ)がなかつたら、単なる自己犠牲で終わる。といつていました。まさにそのとうりかもしれません。でも真理つて難しいことてす。教会のまことの愛もころころ変わりますし、神様の愛は不変だと言いますが、地上にけんげんしてないから、大問題です。