過ぎ去った日々は決してもどってこないが。 | ペッカプのブログ

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過去、現代、未来、過去の過ぎ去った日々は二度ともとには帰らない。お父様もみことばの中で、痛恨されていました。

教会のみことばや文献は過去にたくさん読みこんだ。しかし未だに現実世界は変わらなかった。時にはチェンジ寸前までの時もありましたが、人間の欲がすさまじくて、教会の大義名分などは幹部の欲望のために利用されてしまったようだ。


持てる人と持たざる人は最初から相容れないのだ。乞食が大義名分を言っても所詮乞食の欲望を満たすのが、目的だったのだ。志が高い宗教家や篤志家が中心にいたら、未来はもっと希望的だったかもしれなかったが所詮乞食の群れは乞食の業しか知らないようだった。


古来中国では、性善説と性悪説が説かれていたが、教会ではあまりにも理想ばかり説くので、ついつい現実を無視して個人も家庭や国家まで性善のように思ってきましたが、現実がとことん醜い事や、どこまでも環境に流される人間の弱さに最近気がつきました。


環境に流されないで我が信念を貫く人こそ愛においても完成の域にいるのかもしれませんね。


人間は信じたいけど、性善ではなく、弱いもので大抵の人は環境に流されて生きています。愚かながら最近やっとその事がはっきりわかりました。過去において嫌な予感がしても良い方に信じていましたが、ことごとく予感の方が的中しました。


現実を知り、向き合うのが大事でした。決してあきらめるのではなく、すこしでも善なる環境を整えて、やはり人間を信じたいものです。人間のせかいは、政治、経済、文化など重要ですが、ともすれば、悪い方向に引きずられます。一世が未来において汚点や悔いのないものにしていかなければ誰がやるのでしょうか?教会の人が言うように、霊界において良い位置に行くとか?二世や三世の時代ににならなければ改革ができないような刹那的な世界観ではだめです。未来を変えるのは私達です。
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