心の時代 | ペッカプのブログ

ペッカプのブログ

ブログの説明を入力します。

テレビに厳しい修行されたお坊さんが出演していました。睡眠時間が二時間で、朝から炊事や掃除、座禅、独経、昼からは托鉢、眠むくて、田んぼに落ちたり、転倒しても過酷な肉体労働は昼夜まで、続きます。

なるほど実体験でつかんだ世界は悟りの境地だと思いました。私達も教会で若い時から霊肉鍛えられたはずなのになぜ今の迷える境地なのか甚だ疑問でした。

岩の上に種がとんでも、立派な松になった苗が映像に出ましたが、風のままに飛んでも、ある時からは自分の意志で育っていく松は根をはりました。言われるままではなくて、自分の意志を持てば岩をも貫く。と言うことです。


お寺から修行に来たお坊さんは、とても荒行には堪えられないので、極限状態までやって、救急車で病院に運んでもらい、修行には耐えられない体だった。と診断書を書いてもらおうと、思っていました。ところが、極限までやってもたおれるどころか背骨の横に筋肉がついて、同僚に三本も背骨がある。と言われたそうです。お陰で弱かった腰も痛みから解放されて、生かされている境地を体験したそうです。風貌にも目力があり、人格があふれていました。統一教会の修行も厳しかったのですが、はたして生かされている。という境地まで感じた人達はどれだけいたのでしょうか?もし皆が悟りの境地に達していたなら、外的な地位や名誉やお金なんかに惑わされる事などなかった。と思っています。何だか根本的に間違っていた信仰だったのかもしれません。はたして統一教会では、愛の人格はいずこにいきたもう。