蛍が! | ペッカプのブログ

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梅雨に入る前の季節です。近くの溝に蛍が飛んでいました。一つ二つ三つどんどん光が増えています。そっと手に載せて消え入りそうな光を見ました。点いたり消えたり力強い光でした。雄が雌にアプローチの愛の光が乱舞していました。 田舎のこの時期は何だかしっとりして風情があります。


キリスト教の十四万四千の群れだけが天国に上がっていき、残りの人類を審判するというのは独断主義です。世界教典第二部罪と救援(245-97、1993・2・28)

統一教会の救援観というのは、夫が天国に行って、夫人は地獄に送ろうと言うのではありません。二人とも天国に行こうというものです。父母を地獄に送るのではなく、父母に侍って、息子娘も連れて天国に行こうというのです。世界教典
第二部罪と救援(34-359、1970・ 9・20)

神様の救援摂理は、自然屈伏させていくのです。思いどおりにできるのであれば、強制屈伏させてできるのであれば、数千年になりますか。数週間でもできます。唖然とすることを知らなければなりません。第二部罪と救援 (394-16、2002・10・6)


堕落人間においても、一人の子女でも不幸になれば、決して幸福になることができないのが、父母の心情である。まして天の父母なる神が、幸福になりたもうことができようか。ペテロ二部3章9節を見れば、「ただ一人も滅びることがなく、すべてのものが、悔い改めに至ることを望み、あなた方に対して永く忍耐しておられるのである。」と記録されている。したがって神の願うみ旨のとおり、成就されるべき理想世界に、地獄が永遠なるものとして残ることはできない。そしてマタイ8章29節をみれば、イエスの当時、直接サタンがイエスを神の子であると証したように、終末の日においても、時が至れば、悪霊人たちまでも、それぞれ同級の地上の悪人達に再臨して、彼らがみむねの為になるように協助することによって、結局悠久なる時間を経過しながら、次第に創造目的を完成する方針へ統一されていくのである。(原理講論復活論3・3・3)
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