何が正しいか否かはわからない。 | ペッカプのブログ

ペッカプのブログ

ブログの説明を入力します。

結局事実を知っても何が正しいか否かは未来にならないとわからないように思いました。自然界は未来に備えて、そつがないように思います。人間ほどくだらない事で争う物はいません。太陽系にもしかしたら、生命体がいれば、地球人の争いを次元が低いと見ているかもしれません。


万物というのは何でしょうか。私たちが本性の愛をつくりあげていくのにおいて応援してくれる、美しい表示対です。赤く、黄色く、刺激的なすべてのものを満たしてくれる、愛を称賛できる一つの贈り物です。この世界の万物は人間が理想的な愛を成すにおいて、象徴的な橋となり、称賛する事を願うのです。それが万物の存在する本来の、愛を中心とする理想的な存在の起源であり、目的なのです。
それで、植物たちも私たち人間の愛を追い求める為に、互いに美しいもので装飾し、歓迎します。動物や鳥たちもそうではないですか。雄と雌、互いに喜びながら、チュンチュンと鳴き、「ああ、あなたはこのように愛するでしょう?私もあなたについていって喜びます。永遠に、永遠に、永遠に!」、「そうか、そうか」と言うのです。

それで、万物と人間が一つになると同時に、神様があいする---。愛の雲がかかり、愛の風がふき、愛の水が流れ、愛の歌が響いてくるこの宇宙がどれほど美しい園かと言うのです。花を見て、「いやあ、お前はどこに行きたいと思うのか。すべてを装い、すべての美を持って喜ばせてあげるところを訪ねていくのか」と尋ねれば、「最高のところです!」、このように答えるでしょう。神様の愛が宿るそのような居間を訪ねて行って、この美を持って賛美したい。と言うでしょう。それはどれほど美しいですか。そこだけでなく、神さま迄もお迎えすることのできる装飾品になれるのです。それはどれほど栄光かというのです。「真の愛は永遠なので、昔のアダムの時代も数千年がすぎた今日の時代も、今後何万年の時代も変わらないので、その場を美しく整えることに同参することが栄光であり、このように歴史時代に花として生まれたことを私は誇りに思う。」と言うのでしょう。世界教典第一部神様と創造(146-107、1986、 6、7)
201605021122000.jpg