祭しを否定するわけではないが。 | ペッカプのブログ

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祭し(チェサ)を否定はしたくありませんが、舅の葬儀から始まりご供養、法事、墓参り、教会の聖和式など本当に疲れました。祭事には結局お金もたくさんかかります。生きている人よりも死んだ人と言う感じでした。それはそれで喜ばれたかもしれませんが、あまりにも形式や儀礼にとらわれて中身はどこにいったのか?と言う疑問がありました。何だか仏壇がなくてお写真とお花が飾ってある家に行った時のほうが心が落ちつきました。家族が亡くなってもいつも傍にいるみたいで違和感がありませんでした。 豪華な祭壇やお供えやお飾りには疲れてしまいました。あの世とこの世に違和感があります。疲れない供養をしたいです。形ばかりで心が置き去りなのが一番良くない事だと思います。

そして形式や義務で参列するのは故人に対しても一番失礼です。心のこもったお別れが一番のはなむけだと思いました。

ましてや飲み食いの為に参列するのは一番目にあまります。人のふりみてなんとやら!家族に配慮した行動をとりたいものですね。