呆けの対応 | ペッカプのブログ

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九十歳の舅が時々昔の記憶に戻って、のこぎりがないので探さないといけない。とか木綿針を落としたので探さないといけないと必死になっていた。鋸も針も元々ないのでいくら探しても絶対見つかるわけがないのだが!本人はご飯もたべなくなるのだ。いくら無いと説明しても納得しないのだ。主人は相手の言う事を受け入れて、探しておくからご飯を食べよう。とか言っています。後で有ったからしまっておいたよ。と言うと、舅は、ありがとうとか言っていた。


私にはあのような対応がとれません。現実的にないものをあると言うのだから、どうしても相手を否定する対応になります。舅はますますむきになって声をあらげてきます。最期は二人ともぶちぎれて場が持たないようです。


現実的にそぐわない本人の呆けを受け入れるのは難しい事です。しかし舅は、そういう世界で生きているのだからそれが現実なのです。信仰もそうかもしれません。この世では馬鹿げた架空世界なのに、本人は正にそれが現実なのです。だから自分で悟って、現実とはかけはなれている。とわからないと難しいと思います。ヨイドの裁判の結果がしかりでした。日本では裁判結果のさのじも言いません。未だに献金集めに邁進されています。一体どんなすばらしい天国ができるのか甚だ疑問です。なんだかお年よりの呆けに通じる世界がありますね。否定しないで長年地上天国と言って邁進されていましたが、さぞ素晴らしい天国ができましたでしょうか?私たちに今すぐに見せてくださいと言いたいですね。見せれるものがあれば本物です。
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