私、小さい時からピアノ(エレクトーン)習ってて、
エレクトーンってやっぱりマイノリティなので、ピアノ習ってる子が羨ましかったんです。
「バイエル何番やってる?」
の会話がうらやましくて
大人になって、周りのピアノの先生同士とかの会話っていろんなことを、(曲、アーティスト名etc)
さも「知ってるのが当たり前」感があるんですよね。
マウンティングに近いというか...
もちろん専門的な会話ができるからいろんなものを取っ払って、専門的な会話できるの嬉しい!みたいなのもあるとは思うんです。
けど、そういうとこに行くと、私は萎縮してしまう。
ピアノをクラシックでずっとやり続けてないから私は会話に入れなくてダメだ...
お上品じゃないし...
曲もそんなに知らないし..
弾くのも怖いし....
みんなと同じことができない私。
相手に他の人と同じ会話をさせてあげられない申し訳なさ。
容量の悪さ....
そういうのがドバッと出てくるんです
今日、久しぶりにそれを感じました。(そういうメンツで会合があって。)
あー気分が悪いな、って思った。
さらに、そのうちの一人が結婚すると!
彼氏もいない私はさらにズドーン!と!
比較のエゴキンマンですね。
とりあえず席は一瞬離れましたが、上手く繕ったり会話ができなかった自分にまた自己嫌悪です。
さぁ、いま帰り道で1人なので、ちょっとフィルムを入れ替えてみようと思います。
①そもそも、私は悪いのか??
👉悪くない!
もし会話についていけてない自分が嫌だとしても?それはその「事象」を改善したいな、と思っているだけで、「私」は悪くない。人はいつだって変われるし。
ちょっとホッとした。
②じゃあそういうピアノの先生の自分もなりたいのか?
👉ううん。なりたくない。
あんまりそこにはときめかない。じゃあちょっと違うね。
ピアノを弾くのは楽しいし、クラシックの曲をもっと知っていくのは楽しそう。
だから、知るのはいいと思う
そっか、ちょっと収穫だなそれは。
③ここで、Happyちゃんのタケノコじいさんとマダムトマトといちごちゃん🍓の話を思い出した。
タケノコじいさんは煮るとおいしいし、いちごちゃんはそのままでパフェとかにしたら美味しいの!!
それぞれのマイウェイがあるんだよ。
違うところに、自分の良さがあるんだよ。
私が私でいれて、自分を生かせる場所。
そして、それが自分の好きと合致する場所、あるかな。
あるって信じてみたい
まだ怖くてあるって断言できないけど、あるって信じたい!!
「私なんて」っていやだな。
みんな違ってみんないい♡って言いたい!!
ここまでやってだいぶ周波数上がった
楽になったー…ほっ
いつもは1人でいることが多いから、振り回されたりが減ってきたんだけど誰かと一緒にいるとまだまだブンブン振り回されるなぁ〜。
でもね、1人じゃないから!大丈夫。
YouTubeのHTLの配信とか、最近お守り感ある。
聴くと安心する
感謝だなぁ〜