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般若心経の現代版解釈だそう♪

面白いね
ウインク
 


 

私は物心がついた時から、常に家族が般若心経をあげていたので、意味も分からず、自然に覚えました。

 

 

大人になって、四国八十八霊場を周る事になり、般若心経の意味を探りました。

 

みなさん、色々な解釈をされてますよね。

 

その解釈を私なりに纏めたのが、以下の通りです。

 

纏めただけですよニヤニヤ それでも長いあせる

 

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肉体、感覚、知覚、意思や認識といった精神作用すべて、「これが自分だ」という実体は、

この世に存在していなかった。
 
全ての物体は、固有の実体が存在しておらず、何かが集まった「状態」にすぎない。
 
不変の自分、つまり自性はなく、すべて無自性なのだ。
 
この「物体に実体は存在しない」という真実を「空(くう)」と呼ぼう。
 
 
感覚・知覚・意思・認識も、変化をするという法則のなかにある。
 
つまり、自分とは、この身と心であるが、身と心は実体としての「自分」が存在しないということなのだ。
 
固定的な存在としての「自分」は、どこにも存在しないのである。
 
ただ、私たちは脳という「考える」器官があるので、

「自分」という概念を、心身を自分だと認識してしまっているに過ぎない。
 
しかし真実としては、自分というものは存在しないのだ。
 
生き物は、生まれて死ぬのではなく、

実体が存在しない「空」という存在のなかで、変化を繰り返しているだけだ。


 
 
存在=空=自性がない=無常=変化を繰り返す=常なるものは存在しない

 
 
全ての存在は、「今はこの状態として存在している」だけ。
 
私たちが理解できる世界とは、自分の感覚器官で感じた世界であって、世界そのものではない。
 
そうした世界もまた、「空」である。
 
私たちは、存在は「空」である真実に目を向けず、自分は実体だと認識で生きることで、苦という感情を抱く。
 
あらゆるものは、有るようで無いのである。
 
だから、老いや死ということも、存在せず、ただの概念。
 
本当は「空」である存在が変化をしてだけである。
 
実体が無い世界だから、苦しみも本当は無い。
 
すべて概念だが、概念だと理解すればいいわけでもなく、頭で理解する事が、すでに虚構なのだ。
 
真実を受け取るとは、知識で理解することではない。
 
 
 
多くの人は自分の体は自分のものであり、自分の意思で自分は生きていると思っている。
 
存在しないはずの自分を「有る」と疑うことなく所有し続けているからだ。
 
このような誤った考えから離れるだけで、心はずっと安らかになる。
 
この「空」という存在の真理を知っている者は、心が安らかでいられる。
 
この者たちを「仏」と呼ぶ。
 
存在することの真実を見抜くという智慧は、尊いものだ。
 
あらゆるものは「空」であると言う事を。
 
最後に、この真実を見抜く般若の智慧を、短いで讃える。
 
尊ぶ心で唱えるだけでいい。
 
~ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか~

 

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もっと、簡単に纏めると・・・・

 

 

 

この世は自分を含めて、全てがマボロシ~!
考えるな、感じろ!

分からなくていいから、このお経を唱えてね。

 

~ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか~

 

 

 

怒られるかな?滝汗