ハワイ文化の象徴ともいえるイオラニパレス(ホノルル、ダウンタウン)へ行ってきました。
そこには悲しいハワイの歴史が、、、。
ちょっと長くなりますが、まずはイオラニパレスとハワイの歴史について、記しますね。
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もともとハワイアンが暮らしていたハワイ。
1795年にカメハメハ1世がキャプテンクック船長らが持ち込んだ銃器により全ハワイ諸島を制覇、
欧米の影響をうけて、1840年にカメハメハ3世により立憲君主制となって、ハワイ共和国の体制を固めていました。
いっぽうアメリカ合衆国は、領土拡大競争をしていて、ハワイにもその触手を伸ばし始め、ハワイ人による王政派と、移民貴族などを中心とした、王政を打倒市米国への併合を目指す共和制の対立が深まっていきました。
共和制のクーデターによりどんどんと立場が弱くなる王政、そして
カラーカウア大王の死去のあと、妹のリリウオカラニが1982年に女王として即位。
王政派と共和制派の対立はさらに激しさを増す中、共和制派のアメリカ海兵隊などが王家の住む宮殿を包囲、占拠し王政廃止と臨時政府樹立を宣言しました。
王政派の反対を無視して1894年臨時政府は共和国の独立宣言を行いリリウオカラ二女王は、イオラニ宮殿に幽閉され、事実上ハワイ王国は滅亡となったのです。
ハワイ共和国派1898年米国に合併され、ハワイ準州(Territory of Hawaii )となりました。そのときはまだアメリカ自治領という側面ももっていたのですがじわじわと米軍施設が侵食し米国領と化していきました。
リリウオカラニは、その後も旧女王としてハワイ人の敬愛を受けつつ、1917年、79歳でリリウオカラニ女王はなくなりますが、彼女の死から42年後の1959年50番目の州としてハワイ州が成立。ハワイは完全な米国領となり、ハワイ住民は総てアメリカ合衆国の国民となりました。。
Wikipilia より一部抜粋。
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ハワイ王族の栄華をいまなお感じることのできるイオラニ宮殿。
その時間の流れの中に、大変な事が起こっていたのです。
アメリカはネイティブアメリカンにしたのと同じことを、
ここハワイにも行っていたという事実。
前から知ってはいた事実が、
このタイミングで改めて
わたしの胸にリアルに飛び込んできて、
その無念さを深く感じた本日のイオラニ宮殿訪問。
アメリカという白人社会のこの国がやってきた事は、搾取と分断。
今まで普通にハワイはアメリカの一つの州だときいてきてけれど、
ちゃんと事実を検証するとそれは、まさしく搾取と剥奪のたまもの。
この美しい島で暮らし、自分たちの王国を大切に育んできたハワイアン。
カラカウア大王は、英語も堪能で、しっかりした教育を受け
アメリカに渡り、見聞を広め、
諸外国とも交流をはかり
ハワイ王国を大切に守ってきた。
そこに
やってきた白人たちがその土地を勝手に横取りし、搾取していった。。
ハワイに暮らしているとあちこちで聞こえてくるその爪痕。
いまも水面下で声を上げ続けるハワイ王政派の人たちの声を金と権力で
かき消していく白人社会。
ハワイはアメリカのハワイ州となったけれど、事実はハワイ王国を無視して勝手に作りあげたものだという事をどれだけの人が気づいているだろう。
いまでも、
声を上げる人たちは、その権力の前に不当にねじ伏せられ、口を封じられている。
低額所得でホームレスになったハワイアンたち。
そもそもハワイアンが住んでいた土地を後から来た白人たちが、土地区画と税金システムをつくりあげ、納得しない彼らを追い出していったのだから。
もともとの彼らの暮らす土地や権利、夢や希望を奪ったのは
白人社会のシステムなのだ。
今、多くの観光客で賑わうヒルトンホテルのラグーンの一帯は、Duke Kahanamoku Park と名付けられている。
もともとDuke Kahanamoku 一族の住んでいた場所をあとからきた白人社会が奪ってホテルとラグーンが建てられたからだ。
なぜDuke Kahanamokuの名前がつけられているがその所以を知る人はいまや少ない。
ハワイに来る日本の人たちも
このイオラニ宮殿を訪れたら、
美しい宮殿、楽しいハワイの裏側のそのまた裏側を知り、
感じる時間を取ってほしいと思います。
ジャスティス、、正義の光が聖なる人々の祈りを聞い入れ、
守り導いてくださいますようにと
Hooponoponoが世界あまねく
もたらされる新世界の到来を祈るなり。
Yurika
住所: | 364 South King Street, Honolulu, HI 96804 |
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電話番号: | 808-522-0832 |
営業時間: | 8:30~16:00(チケット窓口) |
定休日: | 日曜・祝日(パレス・ショップは日・月曜) |
Mahalo Nui Loa
Yurika