チェンナイに夜中に到着、アシュラムに手配してもらったタクシーでティルバンナーマライにある
マハルシのアシュラムへ、ひたすら走ること,約3時間。。。
私たちがアシュラムに滞在したときは、折しも、ラマナ マハルシの没後61年目の命日とかさなり、ヒンドゥの盛大なお祭りがありました。
マハルシの名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らずに、導かれた私ですが、
彼の生涯と、その教えに触れることができて、
清らかな水の流れのように、
私の中に流れてきたようでした。
SRI RAMANASRAMAM は、美しい花や布で豪華に飾りつけられ、、
今年も大勢の人がやってきて
ラマナマハルシを慕い、偲んでいました。
死後もこんなに大きな影響を与える人というのは、そういません、、、
マハルシが悟ったといわれるアルナーチャラ山の洞窟にて瞑想の時間をもつことができました。
アシュラムで地元の人たちにも施される無料のお食事は、バナナや、丸い木の葉を縫い合わせた、葉っぱのお皿に、サドゥの人たちが配ってくれるお米や、カレーを、右手でこねこねして食べるインドスタイル。
みんな上手にこねこねして食べてます。
手で食べるのは、食べ物のマナに触れながら、いただくことができ、姿勢的にもどか食いできずに、いいかもしれません。
お食事はとても美味しく
人々の目は輝き、
生きる力がみなぎる
フレンドリーなインドの人々。
しかし、とても暑い。
南インドのこの時期35度から40度。
日中は,危機を感じるほどの暑さ。。。
次第に汗とほこりでどろどろになる私たち。
しかもこのあと、ハワイアンデトックスならぬ
インディアンデトックス、、恐怖の浄化の洗礼が襲いかかるのでした~
マハルシの生涯
1879年12月30日、南インドのタミル・ナードゥ州のマドゥライ市のティルチュリ村で生まれる。ヴェンカタラマン・アイヤルと名付けられる。生家は現在、父の名スンダラム・アイヤルにちなみスンダラ・マンディランと名づけられ、聖なる場所として残されている。
1896年6月17日、16歳の頃に突如として起こった死の体験に触発された内的探求から、肉体を自分とみなすエゴとしての「私」が消え、完全な、無限の、不死の、実在かつ意識かつ至福である真我(アートマン)または真実(理)こそが私であると悟る。それまで、特別の宗教的な知識や鍛錬はなかった。
その後、巡礼都市であるティルバンナーマライの古来よりシヴァ神の顕現とされるアルナーチャラの丘に呼ばれるように家を出て、生涯をアルナーチャラから離れることはなかった。ティルバンナーマライに来た当初、沈黙を守っていたが、自然とその存在は知られるようになり、次第に多くの人々が訪れるようになった。
ラマナ・マハルシという名前は、1907年ごろに訪問したガナパティ・サストリによって命名され、以後広まった。最初の頃は、アルナーチャラの周辺 にある寺院や洞穴に住んでいたが、1922年12月ごろから、アルナーチャラのふもとにある、母親のアルガンマルのお墓がある場所に定住し、そこが現在の ラマナ・アシュラムに発展した。
1950年4月14日、午後8時ごろに死去。亡骸は、火葬されずに、サマーディ・ホールの地下に安置されている。現在のアシュラムはマハルシの実弟の孫にあたるV.S.ラマナンにより管理されており、世界各国から訪問する信奉者を受け入れている
教え
マハルシの教えは、シャンカラの不二一元論(ヴェーダーンタ哲学)にたどれるが、自身は何らかの思想や哲学を教えているという思いはなく、自らの体験を語っていた。難解な聖典の教えを分かりやすく教えることが出来、聖典の意味や教えへの質問者の疑問を晴らした。
しかし、言葉での教えより、モウナ(沈黙、静寂)こそが最も力を持っているとたびたび語っている。ここでの、モウナは単に言葉を発っさないことでは なく、こころがその源(真我)に溶けこみ、別に存在していない在り方を意味している。マハルシは、モウナは「永遠の雄弁」であると表現し、言葉を発するこ とはその力の妨げになると言っている。実際に、マハルシに会いに来た人が、会話を交わすことなしに、目と目を合わせるだけで、こころが落ち着き、今まで味 わったことのない幸福感に包まれたというような話が、マハルシとの思い出を収録した本の中でよく語られている。
「私は誰か?」という問いかけによる実践的な真我の探求(アートマ・ヴィチャーラ)を推奨した。肉体を自分であると誤ってみなしているエゴとしての 「私」の根源を探求することで、生ずることも滅することもない真我こそ私であると悟る。これは、ヴィチャーラ・マッガ(探求の道)またはジニャーナ・マッ ガ(知恵の道)と呼ばれる。この悟りは、常に自らが真我であることに気づくことであり、新たに真我を作りだしたり、真我を獲得するということではない。探 求は、真我を見えなくしている障害物である「私とは肉体である」という思いを基底にする様々な思いを除くだけである。マハルシは、自らが真我であるのに真 我であると気づいていないことを、不可思議の中の不可思議とあらわしている。
悟りへのまっすぐなもうひとつの道として、バクティ(献身、帰依)も教えている(バクティ・マッガ)。バクティは神などの至高の存在に自分自身を明 け渡すことである。その達成において、自分自身の欲望は完全に消える。バクティとジニャーナには優劣はなく、どちらを選ぶかは修行者の性質による。マハル シは、バクティはジニャーナの母という表現をしている。ちなみに、神・師(グル)・真我は同じものの異なる呼び名である。
また、他の修行の道を否定せず、自身が最も行いやすいと感じる修行をすればよいといい、様々な修行にも寛容な態度をとった。