「河内山宗俊」 | YURIKAの囁き

「河内山宗俊」

’36年 日本映画 山中貞夫監督 82分


 山中貞夫監督という人物、すでに故人ではありますが、生きていれば、黒澤、溝口、小津などと並ぶ、天才肌の監督になっていたはずの人だそうで、兎に角絶対観るべし、と日頃から言われ続けていました。しかし、実はこんなにも古い作品って、観るのに少し抵抗がある。まず、なんと言ってもフィルムの状態の悪さなどからくる煩わしさ、聞き取りにくい音声、どことなく芝居がかった台詞廻し。現代の映画に慣れ親しんでいるせいか、荒削りな古い映画には、抵抗感があって不思議は無い。

 しかし、映画というものを芸術的な視点で鑑賞する者たちにとって、この山中貞夫映画は、当時の技術とかいうものよりも、まず、その映画的なセンスの良さ、演出力の確かさなどで、最高に魅力的なのです。

 この『河内山宗俊』では、まず、現存するもっとも若い頃の原節子を鑑賞できます。当時16歳だというからビックリです。物語は、講談『天保六花撰』、歌舞伎『天衣紛上野初花』を山中流にアレンジしたもの。お浪(原節子)の弟・直侍(市川扇升)は芸者の三千歳(衣笠淳子)と恋仲で、共に心中をしようと計画をする。ところが、心中は失敗し、直侍だけが生き残ってしまう。そのために事もあろうか、直侍の姉・お浪に、芸者界を総括するヤクザの親分が、三百両を都合つけろと言い渡す。オトシマエというやつですね。お浪は、自分の身を売って、お金を作ろうと決心しますが、そういう不正を聞き捨てならんとする河内山宗俊(河原崎長十郎)と金子市之丞(中村翫右衛門)が俄然とお浪とその弟を守るべく起ち上がる。

 一見、人情喜劇のような様相ではあるけれど、ラストなどの立ちまわりのシーンはかなり迫力あるし、随所に、映画的にハッとさせられる叙情性も兼ね備えた、映画作品としての娯楽性に富んだ素晴らしさ。そして、小津監督に影響を与えたと言われるローアングルポジション撮影。地面スレスレを狙うカメラの絶妙なアングルに思わず唸ってしまう。移動やパーンといった手法は後半にほんの少しのショットであるのみで、フィックスで極めて無造作に対象物を捉える。山中監督が、対象への視座について深い洞察力をもっていることを示唆していると言っていい。

 お浪が、弟・直侍の失態に怒り、弟を叩くシーン。一瞬の静寂の後、静かに粉雪が降ってくる。昭和11年の映画で、こんな叙情的なシーンを描くなんて、さすが天才監督。