「エゴン・シーレ」 | YURIKAの囁き

「エゴン・シーレ」

 ’80年 オーストリア/西ドイツ 94分


 画家の伝記映画というのは割りと多い。ロートレックの『赤い風車』、『炎の人ゴッホ』、モジリアーニの『モンパルナスの灯』、『情熱の生涯ゴヤ』、『ピロスマニ』。しかし、この『エゴン・シーレ』は他の伝記映画とは次元的に異色なものがあります。

 20世紀初頭に起きた芸術運動【表現主義】は、絵画、彫刻、文芸、演劇、映画、音楽に及び、作家の内面における生命、自我、魂の主観的表現によって感情を表出する。ウィーン表現主義の画家であったシーレは、短い生涯に性と死を見つめ、表現主義を自ら体現した人です。

 シーレはウィーンで生まれ、暗く陰鬱な美青年に成長。16歳の時に異様な絵の才能を見出され、ウィーンの絵画アカデミーに入ります。3年後、アカデミーを脱退した画家たちと【新芸術家グループ】を結成。展覧界を開き、批評家と親交を結び、ライニングハウス男爵というスポンサーを得る。21歳の時、アール・ヌーボォーの代表的な画家であり恩師のグスタフ・クリムトのモデルだったヴァリと同棲を始めます。

 妹の裸のデッサン、自慰をする自画像などにはじまる彼の性への傾注は、少女や若い女性に大胆なポーズを要求し、大きく開かされた女性の股間に執着するなど、芸術活動に寛大だったウィーンでさえも、変態や倒錯だと物議をかもすほどだったとか。翌年、映画の最初のエピソードに描かれる、少女クロッキーがもとで未成年レイプの容疑に問われ、押収された絵やデッサンが猥褻物として問題になり、裁判所の独房に24日間留置される。少女の親が嘘と知って告訴は取り下げられたけれど、公判は引き続き行われた。オーストリアのハプスブルグ王朝の1000年近い歴史では、猥褻罪で投獄された芸術家はシーレただひとりだったとか。

 映画作品としては、芸術家の伝記だという部分はさて置いて、ひとりの芸術家気取りの堕落した男が、いかに女性からインスピレーションを得たか、という点と、性と自ら芸術と称するモノとが、どのような芸術的接点にあったかを表現したに留めているので、全体的には、退屈する作品になってしまっている。音楽として使われているプライアン・イーノの曲だけど、これは、ヘルベルト・フェーゼリー監督がイーノに無断で使用したらしく、当時は訴訟問題にまで発展したらしいです。