「どん底」 | YURIKAの囁き

「どん底」

■1957年、日本映画、137分
■監督・製作・脚本:黒澤明
■原作:マクシム・ゴーリキー
■脚本:小国英雄
■撮影:山崎市雄
■音楽:佐藤勝
■出演:中村鴈二郎、山田五十鈴、香川京子、三船敏郎
     東野英治郎、三好栄子、根岸明美、清川虹子
【ストーリー】
江戸時代、日も当たらない場末のとある貧乏長屋。そこには、鋳掛屋や夜鷹、飴売り、お遍路、遊び人に泥棒まで、さまざまな人々が暮らしていた。彼らはそれぞれの事情でここに流れ着き、その日暮らしのどん底生活を送っていた…。
【評】
ソビエト社会の底辺に生きる人々の生活の悲惨さと、それでも尚、幻想を夢見つつ逞しく生きぬく精神を鋭く観察した戯曲『どん底』、これを書いたのは、ロシア革命の時代を生きたゴーリキーです。
黒澤監督は、これまでも、海外の有名な文学作品を映画化していて、『リア王』『白痴』『どん底』と、海外文学の日本的民族性への転換と、黒澤流解釈によって、見事な映画作品として作り上げられています。
登場人物の名前が日本名に変えられているとはいえ、おかしさと悲しさに彩られた様々な人物は、容易く見分けられるでしょう。当時の日本映画の最高の俳優陣が、泥棒のペーペル(捨吉)、大家のコストゥイリョフ(六兵衛)、その女房のワシリーサ(お杉)、そして巡礼のルカ(喜平)などの異様な面々を演じています。時として論議の的とされる演劇性を素直に取り入れたこの作品は、長屋の内部と中庭だけで話しが進んでいく。カメラがゴミに塗れた穴倉へとパンダウンする冒頭の見事なショットから、絶望を糧に生きる人々――ゴーリキーの表現を用いれば過去の人々――が蠢く【どん底】を見つめ続ける。黒澤監督はまさに外の世界を見せることなく、私たちを彼の世界に閉じ込めることに徹したと言えます。
他の監督ならば、原作を古風で形に嵌った映像として描くことで満足するのかもしれない。あるいは自分たちが、人間であることを時として忘れてしまう人々の悲痛な運命を描こうと、陰鬱なる自然主義に陥ってしまうかもしれない。
黒澤監督の『どん底』は、まさに【絶望の果てから生まれた】と言えるユーモアを交えた解釈を施したと言っていい。零落した人間たちを描くこの悲喜劇を演じた役者たちは素晴らしく、演技以上のものを出し切っていると言えます。自ら編集を行っている黒澤監督は、演劇的な表現方法など安々と飛び越え、全ての瞬間において、まさしく映画的な時を刻み込んでしまったに違いない。