「ダメージ」 | YURIKAの囁き

「ダメージ」

■1992年、イギリス・フランス合作映画、111分
■監督・製作:ルイ・マル
■製作:ヴァンサン・マル、サイモン・レルフ
■原作:ジョゼフィン・ハート
■脚本:デヴィット・ヘア
■撮影:ピーター・ビジウ
■音楽:ズビグニエフ・プレイスネル
■出演:ジェレミー・アイアンズ、ジュリエット・ビノシュ
     ミランダ・リチャードソン、ルパート・グレイヴス
1992年、NY批評家協会賞、助演女優賞=ミランダ・リチャードソン
1992年、英国アカデミー賞、助演女優賞=ミランダ・リチャードソン
1992年、LA批評家協会賞、音楽賞
【ストーリー】
イギリスの保守党 MP の大臣スティーブンは、カクテルパーティで息子マーティンの恋人アンナを一目見ただけで、すっかり彼女のトリコになってしまう。彼女も彼をフィアンセの父親と知りながら積極的に誘惑する。そしてふたりは人目を避けつつ、とろけるような恋に落ちる。家庭では良き父であり良き夫であったはずの男が、どんどん恋に堕ちてゆき・・・。
【評】
またまたジェレミー・アイアンズの登場。ここでも破滅型のダラシナイ男を演じて、ますます下半身が元気です(笑) この映画、相手が息子の恋人だ、という処に問題あり。恋愛は自由なものだから、結婚しているからしちゃいけないわけではない。結婚していることは大きな制約ではあるけれど、絶対的な壁ではない。むしろそれは一般的に言って、恋愛から自然に遠ざかろうとする心のバリアが働いて、この映画のようなことからは離れようとする気持ちが強く前面に出て、このような事件は未然に防げられるはずだ。と、主人公もきっと考えていたはず。ところが冷静な第三者として自分を見ることが出来なくなっている自分を発見し、又愕然とする。いけないことだと思いながら、離れられないでいる。誰もがそうはなりたくないのに、誰もがそうなってしまう恐ろしさ。夏目漱石の「心」に似たものをこの映画から感じた。気持ちは分かっているのだけれど、身体の方が言うことを聞いてくれない、と寅さんの言葉じゃないけれど、するどく真実を突いている。
アナはどうして二人の男、それも親子を同時に愛することが出来たのか。だいたい、始めに誘ったのはアナだったではないか。彼女が自分の気持ちに正直に行動にしてしまうとどういうことになるかを、最もよく知っていたにもか関わらず、誘い水を仕掛けたのはなぜなのか。アナは何を最終目標にしていたのか。スティーヴンか、マーティンか。息子の方だったら、父親との関係を続けたまま、結婚してもいつかばれてしまうに決まっているから、父親を選ぶとは思えないし、事実、スティーヴンから結婚を迫られた時、はっきり断っている。彼が彼女と結婚するということは、息子も妻も、平穏な家庭をも捨てることを意味し、そんなことはカッカしている男が一時的に思い詰めることであり、彼よりもはるかに恋愛経験豊富なアナがこの関係をこのままの形で持続させましょう、と言ったのも分かる。
少し衝撃的ではあるものの、人間の心の普通の混乱さ加減を普通に描いていて、やっぱりルイ・マルらしい映画ではあった。ただ、彼がどうしても作らなくてはならない映画ではないと思うんですが。こんな映画を作っていないで、もっとフランス的なしゃれたのを見せてほしいなあ。