「フィラデルフィア」 | YURIKAの囁き

「フィラデルフィア」

■1993年、アメリカ映画、125分
■監督・製作:ジョナサン・デミ
■製作:エドワード・サクソン
■脚本:ロン・ナイスワーナー
■撮影:タク・フジモト
■音楽:ハワード・ショア
■主題歌作詞作曲:ニール・ヤング
■歌:ブルース・スプリングスティーン
■出演:トム・ハンクス、デンゼル・ワシントン、ジェイソン・ロバーツ
     メアリー・スティーンバージェン、アントニオ・バンデラス
【ストーリー】
一流法律事務所で働く敏腕弁護士ベケットは、エイズウィルスに冒されていた事を知る。会社側は仕事上のミスをでっち上げ、彼を解雇。不当な差別と闘う為にベケットは訴訟に踏み切る。彼の毅然とした姿勢に心打たれた黒人弁護士ミラーの協力を得て、ついに自由と兄弟愛の街フィラデルフィアで注目の裁判が幕を開けた。
【評】
こういう映画を観るときは、まず、その社会問題がどれだけ深刻なものなのか、ある程度把握しておく必要があると思う。それによって、この映画のテーマの重みと、そこに込められた社会への警鐘を感じ取ることができる。同性愛やエイズという問題は、アメリカ国内では一般的な社会問題として理解を示すことが当然とされる中で、現実的な側面としては、嫌悪感や差別といった感情も今尚根強い。理解は示しつつも、それが他人事ならばいざ知らず、自分の周辺にしのび寄ってくると、絵空事では済まなくなる。
アメリカ最高裁は「エイズ患者たちは生命としての死より前に、社会的に死ぬ」ということを前提に、エイズ患者たちの社会人としての権利を尊重する動きが出てきているけれど、これは近年のことであって、エイズが騒がれ始めた当初は、エイズ=不道徳者という偏見として見られていた。あの最高裁の言及も、この映画の中で語られるが、この言葉の持つ意味は、あまりにも重い。映画の中では、主人公がエイズに感染し、それを知った者たちによる憶測が波及し、主人公が職場を解雇にまで追い詰められる。その後の彼の人生も、社会的偏見に晒されながら、置かれた立場を受け入れ、闘う姿勢を示しながら自己を主張していく。このあたりのデリケートな主人公ベケットの心の内側を、トム・ハンクスは淡々と、時には熱情的に演じ、彼の代表作になったのではないでしょうか。
この映画は、所謂裁判劇です。裁判劇というと、アメリカ映画のひとつのスタイルにもなっている。この映画での裁判シーンもなかなか迫力がある。デンゼル・ワシントンは、いかにも庶民派の弁護士という感じで、説得力のある弁護を展開しています。しかし、一番関心したのは、あの陪審員のおじさん。弁護士事務所側の「若手弁護士でしかないトム・ハンクスの能力を試すために訴訟の責任者にした」というでっちあげの主張に対して、あのおじさんの「ここ一番の大きな仕事のときに、青二才の能力を試すために、そいつにチャンスやったりするのか?」という発言がなかったら、他の陪審員の判断も変わったかもしれない。
何の偏見も持たない人間などいやしない。問題は、その偏見を取り除いていける頭と心の柔軟さがあるかどうかです。簡単なことではないけれど、しかし、自分たちの持っている偏見を認識し、それを取り除こうとする意志があるか否かは、人間生きていく上では重要なテーマなんだと思う。こんなふうに、自分自信を問い直す、いい時間を与えてくれるほど、この映画は素晴らしい作品だと思ったのでした。
トム・ハンクスの目の輝きが印象的。