「オルガスムスのウソ」
(ロルフ・ゲーデン著、赤根洋子 訳)
ずっと前に借りて、読めず、今回思い出して借りました。
最後までは無理でも休暇中にある程度読めるといいのですが、、。
世間の常識の中で、根拠はないけどみんな何となくそうだよね?って思われてることは無知から生まれるのだと思われます。
そして事実と全然違うこともあります。それが何かの媒体で取り沙汰され以前とは常識が変わったりすることもありますよね。
前に借りて読めなかった本「存在しない女たち」の冒頭にあったような気がするのですが、その中で印象的だったのが世の中のデータは全て男性基準だよというものでした。
〜ここから私の見解〜
なんとなく我々女性も社会のあらゆるデザイン、設計、サービスは女性も対象にしてるのが当たり前ではと思ってるけど、実はそれに必要な参考データにそもそも女性が入ってないとしたら?
社会のあらゆる基準を決める人が男性でそもそも彼らの頭の中では男性に対応する想定しかしてなかったとしたら?
なんか適当に考えると例えば女性がやる仕事だと思わなかったので職場にトイレ作ってなかったわ、とか。
この例は本に書いてあったものか自分で考えたものか記憶が曖昧なのですが。
例えばある女性がいて電車の吊り革の位置が高すぎて持ちにくい!と思ったとする。
実は吊り革の位置が女性にとって高いのは、もしも低いと男性が頭に当たってうざいから。つまり男性の平均身長が全ての建物や乗り物の基準になってるよってことだったような。。曖昧。
あとは、たしか、自動運転の自動車が走るとして、データが男性に偏ってるので、女性や子どもを避ける対象、つまり人間として認識できない可能性が高まり、事故が起こりやすくなってくるのでは、とかだったかな。
こうも男性有利の社会デザインを続けていくのなら、遺伝子としての最適解は「男も女も同じ身長」かもしれないですね。笑
ずっと未来の人はみんな高身長かみんな低身長かもしれませんね。。
話は戻りますが。
もしかしたら性の方面も男性基準のデータが多いから、自然と男性基準の常識になっていくのではないかなと想像します。
今思いついたのは「女性は男性からの性交渉を断りたかったら断れるよね?」という考えがあったとする。それに対して男性と女性の平均的な力の差を考慮してみると、もしかして女性的には怖い思いをして断れなかったのかもしれない。など。
本はこれから読むので、新しい考えを入手できるといいな。
前に借りて読めずに返却した「存在しない女たち」についての記事はこちら。