深刻感染、責任感染
責任はあるけど、責任に重みを感じたら負けやー。まやかしの深刻な雰囲気とか、責任がある、という空気に負けるのは、忖度。
どこかで読んだ、読み物には、忖度とは、、単なるイエスマンだと。空気読めない=ノーマン、でもないな、多分。本来はイエスもノーも言える選択権があるだけ。それで、空気読めねーなーは、たぶん、相手の意向にノーを言っただけなのだ。
母は、普通はこうでしょー!!というのが口癖だった。いや、口癖ってか、私に対して、が多かった気がする…。
母の意向にノーばっか言ってたわけだ。私は。何も悪くない。母はクソだ。世間や常識というあやふやな、しかも、責任転嫁のために「普通」を使っててずりーなーと思ってた。「私はこう思う」と言えよ、と思ってたし、母にも言ったこともあると思う。「そんなつもりはない」と抗弁してたけど、「嘘じゃん、痛いとこつかれただけだろ」と信じなかった。今でも、母は、常識盾にするショボい人間だと思ってる。
あるのは、事実だけ。行動だけが、その人間の軌跡になる。
行動で、イエスもノーも言える。口で言うのも行動。行動するのも行動。黙るのも、行動。
選ばされてる気がする時、人は人生に萎える。
ほんとは、行動は全部自分が選んでるんだけど、、、
全部考えながらやるのは、めんどくさいこともある。なので、考えず行動する。それが、ルールに従うこと。
ゴミを決まった曜日に出すこと。ゴミを袋の指定どおりに分別すること。
何でそれをするのか?と、行動の意義とか、本当に自分が納得できてるかなんて、一つ一つ分別するのが、めんどくさい。
なので、決められた、誰か=親のルールに従う。それが、楽、安心、間違いがなさそう、責められなそう、責任問われなさそう。
AIみたいね。お利口なAIの量産が、子供を育てたり、教育なのだろうか。
ならば、やはり生き直すしかないなぁ。。私を、育て直すしか。
時間かかるだろ、だって、もう33年以上、行動を他人に委ねて、責任転嫁してきたのは、他ならぬ自分なんだから。
母は、母として、父は父として、迷いながら、学びながら、迷いながら、怒られないように、恥かかないように必死で、育ててきたつもりなんだろうなー。。知らんけど、たぶん、そう。
でも、それが間違ってた。彼ら自身がショボいので、私は、彼らのことを心の底からバカにしてるってこと。そんで、信じてない。
そして、それに従って、羊の群れみたいに、何も考えず付いてきた私の人生も、間違ってた。私もショボい量産された人間に決まってるじゃん。
ショボい人間が、先ずは恋で、その後の結婚で、資格で、その後の世間的に安定した収入で、誰かに羨ましがられるポジションに就くことで、人生の逆転を狙った。
結局、どれも、満足した結果ら得られなかったけど、至極当然な結果じゃんね。
(収入得てないし、独身だし)
ショボい人間は、信頼を得られない。私が親を信頼しないのと、おんなじ。ある程度成人した人間なら、信頼できる人とできない人は、判る。
ショボい人間は、世間的なポジションには左右されない。たぶん、信頼される人がポジション上の方にいるのが多いので関係あるようには思うが。基本的には、ショボい人間は自分を信じてないのだと思う。
33年、信頼をされない人間が、足掻いた。
失敗だった。お疲れ様。
今から巻き返しは結構キツいが、自分の信頼回復をすることから始めないとなーー。