「マルモイ(ことばあつめ)

 

   2019 韓国映画 監督 オム・ユナ

 

          最近WOWOWで視聴。

 

ある世代以上は周知の事実、戦争中の日本統治下の朝鮮(今の北朝鮮と韓国)では

母国語の使用が禁止され(日常会話などはしていたと思うが、主に学校教育等)

悪名高き「創氏改姓」、名前まで日本名にすることを強制された。

母国語を禁じられ、父母の思いをこめた名前を変えさせられることの屈辱は大きい。

その中にあって未来永劫抹殺されるかもしれない運命の

朝鮮語の辞書を作ろうと考えた人たち

映画は彼らの史実に基づいたフィクションである。

 

朝鮮語を護る、それは帝国日本にとって重大な反逆行為である。

神国日本は自ら優位の国と称し、他のアジア諸国を侮ってはばからなかった。

思想的に問題のある家の生徒は「名誉なこと」とうそぶいて従軍させられた。

日本国内でもむろん言論・思想統制はあった。

戦争に反対する共産主義者、社会主義者を「アカ」と呼んで排除した。

「アカ」とされた作家小林多喜二は日比谷警察署内で拷問死を遂げている)

「はだしのゲン」をお読みになった世代も知っているだろう。

新劇の大女優沢村貞子氏も、アカとして大学時代壮絶な拷問に会っている。

 

当時の狂信的な日本国家は天皇崇拝に名を借りて、償えない罪を多く犯している。

 

朝鮮においても勝手に侵略し、徴兵、徴用と都合よく人民を酷使し、

この上なく横暴にふるまった。

そうした中で母国語を守ろうとすることは文字通り命懸けである。

出版社と言語学者らが、ひそかに全国の言葉を収集し、標準語を制定しようと闘う

 

韓国語で「マル」は日本語でいえば「言語、言葉」である。

映画のタイトルは、全国から方言の提供を求めた作業に由来する。

 

その作業は日本軍の知るところとなり、語学の先生が連行され、

拷問を受けて命を落とす。

先生が隠しておいた資料の束を守って、幼い子を残した同士も射殺される。

しかし「朝鮮語辞典」は完成し、日本の統治からも朝鮮は結果的に解放される。

 

映画の中で、戦時中の朝鮮国家における庶民の暮らし、感覚、

知識階級の意識なども知ることができる。

 

識字がなかった男を演じるユ・ヘジンと知識階級の二代目を演じるユン・ゲサン

アクションでも恋愛でもない地味な作品にあたたかさと人間性を見せる名優だ。

 

時代を知るものには、当時の実体はすでにわかっている内容だが

そこに人間が描かれてはじめて伝わってくるものがある。

 

私はこの映画にフランスの短編集「月曜物語」のなかの「最後の授業」

心の中で重ねる思いで鑑賞した。

普仏戦争の敗北で、ドイツ語を強制された、

フランス・アルザス地方の小さなお話だ。

勉強嫌いでさぼってばかりの少年が、ある日教室で

「フランス語を使えるのはきょうまで」と教師に告げられて

教師の悲しみに直面し、これまでの不勉強を恥じ、後悔する。

「自分はその母国語さえ学んでいなかった」

それを読んだのは10歳に満たない時だったが、私はその悲しみが理解できた。

朝鮮で日本もそういうことをしたと、当時既に聞いていたから。

 

言語は自己のアイデンティティーとして、誇りでもあるべきなのだと

小さいながらに知ったことを、今回改めて思い出した。

 

今も自国以外の国をことさらに貶める発言をきくことがある。

彼らにこの映画を観て貰いたいものだ。

 

                       

          横須賀でしずかに余生を送る戦艦三笠