こんにちは。
ヨガとファッションの仕事をしながら、50代からの輝きを応援するアパレルブランドの立ち上げとパリコレデザイナーを目指す、みねさきゆりえです。
前回の記事から少し空きましたが、
今回は、私の人生を大きく動かすこととなった
「ヨガ」と師匠との出会いです。
こちらの記事の続きです↓
もうひとつ前はこちら↓
“静かに輝く”という生き方との出会い
知人の紹介で出会った、今のヨガの師匠・坂口くららさん。
あの日の出会いは、8年経った今でも鮮明に覚えています。
過度に着飾っているわけではないのに、
キラキラと内側から輝いている——
とても同い年には見えない、美しさと気品にあふれた方でした。
「この方は、心の底から豊かな人生を生きている」
「だからこそ、こんなにも内側から美しさがあふれているんだ」
今なら、その理由が分かる気がします。
当時の私は、気力のない毎日を過ごし、
自分で自分をすり減らしていました。
そんな私にとって、師匠の存在はまぶしすぎるほどで…
それと同時に、心からこう思ったのです。
「私も、こんな女性になりたい」
「こんな生き方をしたい」
その想いが、私をヨガの世界に引き込んでいきました。
「やってみたい」という気持ちに背中を押されて
最初は、インストラクターになるつもりなんて、まったくなくて。
きっかけは、知人の何気ないひと言でした。
「先生とか向いてるんじゃない?」
その言葉を受けて、
“ヨガを伝える私”や“ヨガで収入を得る私”を想像してみると、
不思議とワクワクが止まらなかったんです。
その高鳴る気持ちに素直に従って、
私はインストラクター養成講座へと進むことにしました。
軽やかに進めたのは、“ワクワク”があったから
そして、そこからの私はまさに急成長。
-
養成講座スタートから4ヶ月で、師匠のスタジオで代行レッスンを担当
-
6ヶ月で資格を取得し、師匠の個人レッスンのお客様を引き継ぐ
-
翌月にはサーフイベントでのビーチヨガや、大規模なパークヨガイベントへも登壇
実績を重ねる日々に、ワクワクが止まりませんでした。
ヨガを通して“私が私でいられる”時間が増えていく一方で、
当時の本業では心身ともに限界を感じていたのも事実。
2ヶ月の休職を経て、7年間勤めた会社を退職しました。
それでも、ありがたいことにヨガの仕事はどんどん入ってきました。
スタジオでの外部レッスンや出張クラスなど、活動の場は広がっていったのです。
できる・できないより「やりたいかどうか」
我ながらとんとん拍子だったなぁ…と思うくらい。
では、どうしてこんなにも軽やかに進んでいけたのか?
今だからこそ分かるのは、
「できる・できない」ではなく、
「やりたい・やりたくない」で選んできたから。
人前に出るのが苦手で、
自分の意見もなかなか言えなかった子ども時代の私なら、
人前で教えるなんて選ばなかったはず。
それでも、あの時の私は、
「こうなりたい」という気持ちのほうが強かった。
心の底から、「やってみたい」と思えたんです。
「行かなきゃ」じゃなくて「行きたい」だったから
資格取得までは、仕事終わりや休日に講座へ。
イベントにも積極的に参加しました。
「行かなきゃ」ではなく、「行きたいから行く」
義務感ではなく、“ときめき”で動いていた私。
その気持ちがあったからこそ、
夢を現実に変えてこられたのだと思います。
私が、ヨガと共に歩んでこられた理由
ヨガインストラクターとして活動を始めて、今年で7年。
ここまで続けてこられたのは、
自分の中の「やりたい」に従ってきたから。
心の奥に眠る“本音”に正直だったから。
そして何より、
師匠をはじめ、たくさんのご縁に支えていただいたおかげです。
ヨガは、私に自信と勇気をくれました。
そして、「自分らしくあること」の大切さを教えてくれました。
「ヨガを一生の仕事にする」
そう心に決めていた私ですが——
実はその奥に、
まだひとつ、叶えたい“夢”が眠っていたのです。

