こんにちは。
ヨガとファッションの仕事をしながら、50代からの輝きを応援するアパレルブランドの立ち上げと

パリコレデザイナーを目指す、みねさきゆりえです。

 

 

「夢」を置いて進んだその先で、

私の心は、少しずつ満たされなくなっていきました。

 

今日は、そんな自分に気づき始めた頃の想いを綴ります。

 

 


こちらの記事の続きとなってます↓↓

 

 

 

もうひとつ前はこちら↓↓

 

 

 

 

思い描いていた未来とは、どこか違う日々

 

 

アパレル販売の仕事を2年半で離れた私は、

派遣社員として医療事務の仕事へと転職。

 

 

販売員時代に培ったコミュニケーション力を活かし、

2年間勤めた後は、派遣元の支店から事務職へのお話をいただき、移動という形で正社員に。

 

25歳の時のことでした。

 

そこから30歳までの5年間、その会社で働くことになります。

 

 

 

主な仕事内容は、派遣社員さんの勤怠管理や事務処理、

取引先クリニックとのやりとり、支店内の庶務など。

 

パソコンに向かっての業務が中心になったけれど、

私は意外と事務仕事も嫌いじゃない。

 

 

むしろ「私って事務職、向いてるのかも」

 

と思いながら、ストレスなく日々を過ごしていました。

 

 

 

でも──

そんな穏やかな日常は、ある時ふと、色あせて見えるようになっていきます。

 

 

 

 

27歳。心と体がバラバラになっていった

 

 

27歳を過ぎた頃から、何かが物足りないような、

満たされないような感覚を抱きはじめました。

 

 

 

「気づけば、周りは結婚ラッシュ」

 

「私は彼氏もいない」

 

「平日は家と職場の往復だけ。変わり映えのない毎日」

 

「休日は疲れ果てて、家でダラダラと過ごすだけ」

 

 

そんな中、体にも不調が出始めます。

 

PMS(月経前症候群)がひどくなり、生理痛はもちろん、吐き気や倦怠感が日常的に。

排卵期も含めると、月の半分は不調を感じながら過ごすようになりました。

 

 

 

 

「私はこのままでいいの?」

変わり映えしない仕事と、気力のない毎日

 

 

仕事面でも、入社から2年が過ぎた頃には、完全にやりがいを見失っていました。

 

 

変化のない業務内容。

そして、器用にこなせるがゆえに「みんなの雑用係」になっていった私。

 

 

今振り返ると──

 

私はずっと、自分以外の誰かの顔色を伺い、

流されながら生きていたのだと思います。

 

 

・「結婚しなくてもいい」と言いながら、本音では結婚した友達を羨ましく思っていた。

 

・変わらない毎日に不満を感じながら、変えようとしない自分を正当化していた。

 

・「みんなのため」と言ってなんでも引き受け、自分の心を後回しにしていた。

 

・「NO」と言いたいけど言えない。でも、はっきり言える人が羨ましかった。

 

 

その結果、都合のいい人になり、

自分をどんどんすり減らしてしまった。

 

 

 

 

気づけなかった本音。

それでも確かにあった“変わりたい”という気持ち

 

 

今なら分かるんです。

 

全部、原因は“自分自身”にあったということ。

 

 

でも、当時の私は気づけずにいました。

ただ、もやもやと悩みながら、心も身体もどんどん疲弊していった──。

 

 

それでも、心の奥ではずっと叫んでいたんです。

 

 

「このままじゃ嫌だ。変わりたい」

 

 

その思いがあったからこそ、私はついに──

 

人生を大きく変える出会いを果たすことになります。

 

 

 

そう。

それが、私にとって一生の仕事になる「ヨガ」と、最初の師匠との出会いでした。