こんにちは。ヨガとファッションの仕事をしながら、50代からの輝きを応援するアパレルブランドの立ち上げとパリコレデザイナーを目指すみねさきゆりえです。
今日は、夢を追いかけ続ける中で、
一度「夢を置き換えた」日のことをお話します。
こちらの記事の続きとなってます↓↓
デザイナーじゃなく、スタイリストという選択肢
夢は「ファッションデザイナー」。
その想いで、地元では有名な
香蘭ファッションデザイン専門学校へ進学することに。
…でも、ここで私は、
「ファッションデザイナー」から少し外れた道を選ぶことになる。
私が選んだのは「ファッションデザイン科」ではなく、
スタイリスト科だった。
デザイナーを目指すコースではなく、
スタイリストになるためのコース。
「デザイナーなんて狭き門すぎて私には無理かも」
「裁縫やミシンも得意じゃないし…」
そんな気持ちがだんだんと大きくなって、
いつしかファッションデザイナーの夢は、ぼんやりと霞んでいった。
さらに当時、ファッションデザイン科は2年コース、スタイリスト科は1年コース。
本当は、東京にある文化服装学院へ進学したかった。
でも、家庭には余裕がなくて、弟の高校進学も控えていた。
「できるだけ、学費がかからない方がいいよね…」
そう考えて、私は1年で卒業できるスタイリスト科を選んだ。
そしてこの時、はじめて心の中で
「メディアのスタイリストも良いかも?」と、
スタイリストという夢に書き換えた瞬間でもあった。
たった1年の学生生活だったけど、すごく濃かった。
今でも忘れられないくらいの経験と出会いがあって、
「やっぱり私はファッションが好き」って改めて思えた。
スタイリストとしての夢も、どんどん膨らんでいったんだ。
初めて夢を諦めた瞬間
でも、就活が始まると目の前にある求人はほとんど「販売員」。
学校に来ていたスタイリストのアシスタント求人は、たったの1件。
しかも、月給5万円。
(バイトしながらアシスタントなんて…親はなんて言うだろう)
(どうせ、そんな働き方は許してもらえないよな)
そう思って、面接を受ける前に諦めてしまった。
自分の手で夢を手放した、最初の瞬間だった。
そして私は、「メディアのスタイリスト」という夢に蓋をして、
アパレル販売員として就職する道を選んだ。
初めて「この仕事でよかった」と思えた場所
卒業後、就職したのは
ヨーロッパブランドのインポートセレクトショップを展開する会社。
日本ではまだ珍しい、希少なブランドを取り扱っていて
“ここにしかない”個性的な1枚が並ぶお店だった。
ファッションの本場・ヨーロッパの独特なデザインやプリント、
生地や装飾を目の当たりにして…心が震えた。
「あぁ、やっぱり私、こういうのが好きなんだ」
・他にはない1点もの
・ちょっと個性的で、誰とも被らないデザイン
・みんなと同じじゃつまらない
そんな想いが、やっぱり私の中にはあった。
このブランドと出会えたことが本当に嬉しくて、
新卒でこの会社に入ってよかったって、心から思えた。
好きなはずなのに、楽しめなくなった私
だけど…
しばらくすると、心のどこかでいつも感じてた。
「このままで本当にいいのかな?」
会社のブランドや、お客様のニーズに合わせる毎日は
学びもあるし、やりがいもある。
でも、いつの間にか
自分の「好き」が鈍っていくような感覚があった。
あんなにワクワクしてた服たちが、
いつの間にか「売れるかどうか」で選ぶものになっていた。
忙しさに流されて、
気づけば心も身体もバランスを崩してしまっていて…。
大好きなファッションの仕事なのに、楽しめない。
それがとても、苦しかった。
「好きなことって、仕事にしちゃいけないのかな…」
そう感じるようになって、
私はアパレル販売員の仕事を、2年半で離れることを決めた。
