神奈川西部から見た予兆
☆いつまでも平和な日本でありますよう。
☆2025、8/15、終戦記念日に思う
※終戦から80年、
(昭和16年、12月、8日)真珠湾攻撃を境にして、
太平洋戦争へ突入して行った!
なお、
当時の内閣(上層部)の会合では、
(太平洋戦争)は
はじめから(勝敗)が分かっていた
にもかかわらず、
何故か、
戦争参加に舵を切ってしまったと言う!
なんと愚かな日本のリーダー!
当時の総理大臣、および、議員さんたち
※当時の日本国民は、
愚かな日本のリーダーを選んでしまったことを思い知らされたことか!
なお、
※愚かなリーダーとは、
人間としての(国民への愛情)欠如です!
(この愛情とは常に行動を伴うことが必要です)
※国民を絶対的に支配したいと言う欲望が並大抵に強く、
脅迫的な性格で日本のリーダーに適さない人です!
◉当時は、
国民ひとりひとりの人格は、完全に(無視)され(愛)もなく道具として扱っていた!
いわゆる気が狂った人間が
日本の頂点に君臨していたから
(たまったものではない)!
★赤紙が来ると、
強制的に戦争に駆り出されて戦場に!
さて、
太平洋戦争が開始した(昭和16年、11月)
数日まえに、わたしは、この世に生まれ、
さぞや、新米お母さんも想像を絶するくらい不安だったと思います。
食料難になり米屋さんの軒先には、
お米はなく(サツマイモ)がゴロゴロとしているのだから!
また、空襲警報が鳴るたびに、暗い防空壕に避難する日々に、黙々と耐えて!
日本が戦争に勝つまではと、
うその情報を信じさせられて!
それこそ、
言論の自由は無く、
到底、勝ち目が無いことを知ってでもです!やりきれない!
戦争をやめて!と言えなかった当時の日本!
これほど怖いものはない!
勿論、夜、寝ているときも、
びくびくして暮らした終戦になり、
昭和23年、小学校に入学し絣のモンぺ姿で記念撮影した小学校1年生!
それに、紺の上下の洋服が国から配給され!
極度の貧困で勿論シャワーなどなく髪の毛に(シラミ)とが、ウジョ、ウジョ)と、
炎天下の校庭に一列に並ばされて髪の毛に(DDT)消毒をさせられていた!
あの頃、やがて、小学校2年になると教室が足りないので、
2部に分かれ(午前中に学校に行ったり、午後から学校に行ったり)と、
勿論、給食などなくお弁当を持参で登校したものです。
お弁当を持ってこれない友もいたり、サツマイモ入り麦ご飯など、
いいほうな世の中でした(神風特攻隊=まるで鉄砲玉扱い)
2度と戦争に巻き込まれないために!
それに(言論の自由)が尊いことがとても大事と言うことを思い知りました!
↑池上彰の戦後80年SP情報
お借りしています。忘れないために!
※悲しき口笛(美空ひばり)
敗戦後、どこからともなく、聴こえてきた、悲しき口笛
ラジオから、繰り返し流れていたので、
楽譜がなくても、なんとなく、口ずさみ覚えてしまったあの時代!
ひばりちゃんの歌声で、
元気をもらい、傷ついた多くの人たちを、,どんなにか奮い立たせたことでしょう!
※ガード下の靴磨き(宮城まりこ)1949発売i
※終戦後、戦争で負けた、日本の悲惨な状況のなか、
ラジオから、繰り返し流れていた、
ガード下の靴磨き(1949発売) 戦災孤児になってしまった、
幼いこどもたちが、なんとか生きるために、
靴磨きをして、収入を得て、健気に暮らしていた、あのころ、
80年も経ったいまも、
この歌を聴いていると、かわいそうすぎて涙が滴ります。
太平洋戦争へのあらまし