神奈川西部から見た予兆
☆2020、8/15(あのころを振り返って)
終戦から75年を迎える、いま、振り返って見た!
おもえば、昭和16年、12月、8日、太平洋戦争がはじまる、
数日まえに、わたしは、この世に生まれ、
さぞや、新米お母さんも想像を絶するくらい不安だったと思います。
見る間に、食料難になり、米屋さんの軒先には、
お米はなく(サツマイモ)がゴロゴロとしているのだから!
また、空襲警報が鳴るたびに、暗い防空壕に避難する日々に、黙々と耐えて!
日本が戦争に勝つまでは、と、うその情報を信じさせられて!
それこそ、言論の自由は無く、到底、勝ち目が無いことを知ってでもです!
やりきれない!
戦争をやめて!と言えなかった当時の日本!これほど、怖いものはない!
勿論、夜、寝ているときも、お風呂も、びくびくして暮らした、
終戦になり、
昭和23年、小学校に入学し、絣のモンぺ姿で記念撮影した小学校1年生!
それに、紺の上下の洋服が国から配給され!
極度の貧困で勿論シャワーなどなく髪の毛に(シラミ)とが、ウジョ、ウジョ)と、
炎天下の校庭に一列に並ばされて髪の毛に(DDT)消毒をさせられていた!
あの頃、やがて、小学校2年になると教室が足りないので、
2部に分かれ(午前中に学校に行ったり、午後から学校に行ったり)と、
勿論、給食などなくお弁当を持参で登校したものです。
お弁当を持ってこれない友もいたり、サツマイモ入り麦ご飯など、
いいほうな世の中でした(神風特攻隊=まるで鉄砲玉扱い)
2度と戦争に巻き込まれないために!
それに(言論の自由)が尊いことがとても大事と言うことを思い知りました!
でも、一部、
言論の自由を、都合のいいほうに解釈されているのは論外です。
※悲しき口笛(美空ひばり)
敗戦後、どこからともなく、聴こえてきた、悲しき口笛
ラジオから、繰り返し流れていたので、
楽譜がなくても、なんとなく、口ずさみ覚えてしまったあの時代!
ひばりちゃんの歌声で、
元気をもらい、傷ついた多くの人たちを、,どんなにか奮い立たせたことでしょう!
※ガード下の靴磨き(宮城まりこ)1949発売i
※終戦後、戦争で負けた、日本の悲惨な状況のなか、
ラジオから、繰り返し流れていた、
ガード下の靴磨き(1949発売) 戦災孤児になってしまった、
幼いこどもたちが、なんとか生きるために、
靴磨きをして、収入を得て、健気に暮らしていた、あのころ、
75年も経ったいまも、この歌を聴いていると、かわいそうすぎて涙が滴ります。
太平洋戦争へのあらまし