少し前の話、
ちょっと自慢?!も入るかもしれない(笑)
というのは今までの私は
自分自身を見ていなかったと気づいたから(笑)
さて、本題に入ろう・・
私は娘と少林寺拳法で親子演武をしている。
娘は、
「少林寺拳法をやりたい!」と
自分から入門したので、もともとやる気がある。
というか私は
娘があの時少林寺をやりたいと言わなかったら
絶対に少林寺拳法をしていることはなかったと思う。
話が逸れた・・ので戻そう。
娘は、
若くて成長ざかりで
何でもすぐに吸収した。
そこには、
もちろん、本人のやる気があったこと。
それに加えて
少林寺を始めた頃から親子演武を組んでいるので
最初から大人を相手にしてきたこと。
そのような状況で
上手くならないはずがない。
その上、彼女には
私にはない武道センスがあった。
少林寺拳法が向いていた。
娘ながら
恵まれていて羨ましい。
そんなふうに思っている娘に対し私は、
少林寺拳法を始めたのも30代になってからで
今現在、人間としての成長が停滞し
老化していく年代に差し掛かっているという
強烈なコンプレックスがある。
加えて、
武道センスもリズム感も
頭も体も柔軟性がないというないないづくし、
今では
本当に何で続けられていたのかわからない(笑)
けれど、
今、娘と親子演武が出来ることが
最高の幸せである一方
先に書いたように
センスがあってうまい娘と向き合うのは
親としても人間としても自分の弱さとも
向き合うので本当にキツイ。
本当に娘に腹が立つ時もあるし、
きっと彼女もそうだと思う。
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いつの間にか
最初に教えていた私が
立場が逆転して
娘の動きについて行くのに
必死になっている・・・。
そんな中
いろいろと道院長にも言われて
ふと、気づいたことがあった。
演武の動きというか?!
(間合いの動きの怖さについては
前のブログで書いた。)
娘との演武がどうのこうのという前に
自分自身に【自信】を持つことが大事だということ。
つい目の前の娘の動きについて行けないとか
技や動きのことを考え、いかにうまくできるか?!
を考えてきた。
しかし、
上手い下手ではなく、
親子だから出来る演武というか?!
成長著しい娘の動きや技に
必死で食らいつきながらも
一人の大人として、
何より親としての技とか超えた
長く人生を経験した威厳というものを
出せないと意味がないのだと道院長に言われた。
とはいうものの・・・
自分に自信が持てない。
自分の人生でいろいろなことが起こり
経験してきたことを振り返っても
世の中の価値観で自分を判断し生きてきた中で
自分自身心の問題なのではないか?!
他人の目を気にして来たのではないか?!
それを証拠に娘が羨ましい。
と気づいた時に
自分の心の動きが
体全体に出てしまっていることに気づいて、
とにかく
自分自身に
根拠のない自信で良いので持つこと
が大事だということに改めて気づいた。
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今、
娘とせっかく演武が出来るのだから、
母としても演武のパートナーとしても
自分が出来る最高の動きをしたい。
そして、
親子で最高の演武がしたいからこそ
出来るだけのことはしたい。
そこで私は
娘にとって
めっちゃうまい最高のパートナー
だと心から思うことにした。
そう言い聞かせ
間違っていても勘違いでも良いので
誰が何と言おうとも
一人の大人として自信をもって振る舞おうと思って
道場に練習に行った。
そうして驚いたのは、
道場にある鏡で自分の姿をみた時に
いつもならば
「道着がしっくりきていないなあ・・」
「なんか自信がなさそうやなあ‥」
「貧相やなあ・・・」
等と思ってしまっているので
決して、自信があり、
強そうには見えない姿があった。
そんなのだから、
あまり自分の動く姿を見るのが好きでもなかった。
それを、意識を変えて
その日
あえて鏡に自分の構える姿を映してみた。
そうしたら・・・
「あれっ?! 私ってなかなか悪くないやん!・・」
「道着姿も似合ってるやん!・・」
と思え
「構え方ももっと、こう構えたら格好よく見えるやん・・」
等と思っている自分がいた。
鏡は自分を映す!
しかし、
そこに映っている自分の姿を
自分自身がどうみるのか?!
肯定的な心でみるか?!
否定的な心でみるか?!
で
全く違うものに見えるのだと
私自身が気づいた。
今までずっと無意識に
自分はダメだと思っていた私の姿。
そこに映る私は
鏡越しにもダメダメ・・
気持ちを整え、意識を変えて
私は私のままでいいと思えた時に見えた私の姿。
なかなか良い・・
自分でもこんなにも違うのか?!
と驚いた。
これは本当に怖いことだなと思った。
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いろいろなものに影響されながらも、
周りに振り回されることなく
自分自身を信じつつ、甘やかすことなく
自分の可能性や成長を潰さない。
人はいくつになっても成長出来る。
しかし、
何でこんなヘタレの私から
”いきとも®~ともに生きる~が生まれたのだろうか?!
一つ言えることは、
ヘタレなのに負けず嫌いなところがあるから
生まれたのだと思う。
【いきとも7か条】
☆人は動物~地球上の一種族
☆五感+共感が大事
☆どんな自分でも認める~自己承認
☆みんな違ってみんないい
☆同じ立ち位置で向き合う・・対等
☆笑顔・・笑って生ききる
☆周りにいい影響を与える~進化をめざす
私は”いきとも”が増えたら
娘やその先の世代に今より
良いものが残せると信じている。