【ぶれない自分を持つ】
【自分軸で生きる】
このことを貫くには、
いいか悪いか?!
好きか嫌いか?!
ということ以外が認められ
『みんな違ってみんないい!』
というようなことが認められる
成熟した社会でないと無理だと思う。
少なくとも
マウント社会では、
マウントする側の強者か?!
または、
そういうことから逸脱した
マイノリティにしか
その「権利」は与えられない気がする。
そんなことに気づいたのは、
厄介?!な私の趣味というか性格。
私にとっては、
少林寺拳法と
お花が
好きとかいうのを超えて
「自分らしさ」を問う(保つ)ために
なくてはならないもの。
しかし、
何か用事が出来て時間が被ると、
体は一つなので
少林寺拳法を取るか?!
それ以外の用事を取るのか?!
という選択を迫られる。
そんな時に、
私は少林寺拳法を取る。
なぜなら、
行くまでには
いろいろ思うことはあっても
やってみると自身を振り返り
身体が「リセット」されると言えばいいだろうか?!
言っておくが、
そこに人に比べて上手いとか
下手とかそういうものではない。
それはもうそういうことや
好きとか嫌いとかを通り越して
私の中で譲れない
ただの
「こだわり」なのかもしれない。
それでも、やっぱりすると
自分自身に向き合えるというか?!
「無」
になっている。
本当に心が
目の前のことだけに夢中になっている。
なぜなら
少林寺拳法の練習から帰ってくると
急に現実に戻り、
「洗い物があった・・」とか
色々と考えるから(笑)
今までも
自分の精神状態を維持できたのは
少林寺拳法とお花があったからだ
と思うことも多々あった。
どれだけ
これらに費やして来た時間の中で
救われて来ただろう・・・
だからこそ
私自身
私らしさ
を保つ?!
向き合う?!
貴重な時間。
これはもう
何物にも変えがたい時間。
少林寺拳法とお花に
費やす時間を持てることが
私の『こだわり』であり、
それを貫くことが
「私らしさ」を生む。
そこには、
どちらかを選ぶという
「覚悟」もいる。
ただ
そのような日々の選択肢の中で
「自分自身に嘘をつかない」ということが、
ぶれない自分を作っていくのではないか?!
と思う。
好きや興味から始まり、
続けていく中で嫌なこともあるけれど
それにも増して、
自分の中で得られる満足感や達成感の先にある
本当の強い心を持ったブレない自分になる為に
日々精進したいと思う。
人は何をしたかではなく
何をしようとしたかである
という言葉があるが
私はこの言葉が好きだ。
そんな私から生まれた
“いきとも“〜ともに生きる〜
人と人
人と動物
人と自然
伝わりにくいので
“いきとも7ヶ条“を作りました。
⭐️人間は動物である〜地球上の一種族
⭐️五感プラス共感が大事
⭐️自己承認・・どんな自分でも認める
⭐️みんな違ってみんないい
⭐️対等・・同じ立ち位置で向き合う
⭐️笑顔・・笑って生き切る
⭐️進化を目指す・・周りにいい影響を与える