クラス替えがあった。私は国公立文型クラス。このクラスは2クラスしかない。友達と離れるのは嫌だった。しかし、運良くもう一人の友達と同じクラスになれたのである。よかったねーと二人で言っていた。私は心強かった。そしてもう一人ちょっとおとなしめの子が話しかけてきたのである。これで2人の友達ができた。

1ヶ月くらいが過ぎ、私はあることに気がついた。クラスの女子の中で「派閥」が出来上がっているのである。私たち3人と他は「自分が一番かわいい」と思っている人たちの派閥2つである。

私は、この人たちとは普通に話そうと思ったが、向こうはその気はないらしい。何気ない会話はするけど友達になろうとかそういうことは考えてなかったみたいである。

男子は普通に話しかけてくれた。休み時間とかあいている時間は雑談をした。「派閥」はそれが気に食わなかったらしい。挨拶をしても無視する人がいたのである。してくれる子もいたが、なんかいやな気分だった。

早く夏休みにならないかな、ってそればかり考えていた。やっぱりやめればよかった、そう思った。

担任の先生とはいろんな話をした。生物を選択したクラスが3クラスあったのだがその中でトップだったという。「もっと頑張れ」と先生は言う。しかし、やる気が起きなかった。そして、親の不仲で私は落ち込んでいた。先生はそれを察してくれて、そばをおごってくれた。「うちは離婚したんだよな、お前も負けるなよ」と先生。離婚届が舞う毎日。本当に板ばさみ状態であった。友達には相談できなかった。したとしても理解してもらえないだろうから。もう投げやりになっていた。

修学旅行の季節がやってきた。先生は班を決めなさいという。しかし3人しかいない私たち。あぶれものである。いやいや入れてもらったような感じで決まった。私は不覚にも泣いてしまった。修学旅行は京都・大阪・奈良である。3人だけで楽しんだが、唯一苦痛だったのが自由行動。渋々入れてもらった人たちに「時間を決めて別行動しよう」こう言われた。私は呆れた。まあ、すきにすればいいさと思った。

修学旅行が終わり、3学期も終わるようなころ、みんなは進路を決めていた。私は相変わらず先のことを考えない性格である。まあ、手短な短大にでもいければいいかなというくらいしか考えてなかった。

しかし担任の先生の言葉は厳しかった。「△△短大なら入れます」と言う。そこには入りたくなかった。しかしいまさら勉強しても間に合わない。なるようになれと投げやりだった。

親は「塾に行け」と言い始めた。いまさらなーと思っていたが行くことにした。そうして3学期は終わった。

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