トライアングルピンチ・(実家と離婚と姑) | 緋鷹由理 

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たぬこと熊太の徒然日記を主に掲載しています。

平成14年。その年は、新年早々から、いろいろなトラブルがありました。

まず、実家の父に大腸がんの疑いがあると知らされます。間も無く「検査結果が出て、大腸がんが見つかった、手術の必要がある」と実家から連絡がありました。

それと同時に、夫との離婚は深刻なものになっていきます。

こうなったら先手を打つしかない、と思い、離婚調停を申し立てることにしました。

この離婚調停は、夫の離婚強要の理由をはっきりさせたかったことと、離婚するなら、親権や、慰謝料、養育費などの離婚後のことをはっきりさせようと思ったのです。

調停は2月20日。父の手術が2月22日に決まりました。

二月のはじめの頃に、姑は何を勘違いしたのか、私と舅との不倫を疑い、電話で怒鳴ったかと思うと、私の所にやってきて、いきなり殴ります。カッとした私は反撃、大喧嘩になります。

その場は、舅の仲裁で、事は治まりました。

しかし、間も無く、私の体に異変が生じます。息はしているのに、酸欠状態で苦しく動悸がとまりません。「死ぬかもしれない」と思い、たまらず、救急車を呼びました。

ところが、病院では異状はなく、その日のうちに、家に帰えされました。

これがパニック症だと気がついたのは、かなり後のことでした。

しかも、この頃には自律神経失調症が進み、尿失禁を起こしたこともあります。

さすがに「かなりまずい」とは思いましたが、とにかく、ダウンするわけには行きませんでした。

父は手術前の検査入院のため、10日ほど早く入院していましたが、母は車がないため、病院への送り迎えは私の役目です。

しかも、畑は、出荷のピークにあたり、母は病院と畑で大忙しです。

私も、調停は気がかりでしたが、実家の世話と会社の仕事や家事、当時はPTAの活動もしていたので、「忙しい」を通り越して、目の前にあることを片付けていくしかありませんでした。

離婚調停の日、まず、「夫の離婚理由を聞きたい、離婚するなら、子供や慰謝料養育費の話し合いをしたい」と調停員に言いました。

夫の返事は、「離婚する気はない、慰謝料が欲しいのはこっちのほうだ」というのです。

何度か、調停員と話をしましたが、結局、話がずれ調停は不調となりました。

ならば「二度と離婚の話は持ち出さないように」と夫に伝えてもらうよう、調停員に頼み、その日はそれで終わりました。

その二日後には父の手術の日です。私は立ち会わなかったのですが、それでも、暇を見ては病院へ行きました。

その頃、会社の三階では、私個人のパソコンにあった、妹とのメール通信を見られていました。

このメールには姑のことや、夫のことなど、人に見られてはまずいことが、いろいろ書き込まれていました。

当時パソコンは、姑には、開けられないはずでした。

しかし、そのパソコンを私が病院へ行っている間に、開いていたのです。

姑は「たまたまパソコンが開いていたから読んだ」といっていましたが、明らかに夫が開けて、盗み見たものでした。しかもメールです。明らかに私物です。

まあ、姑は昔から、私の日記や手紙をこっそり、読んでいましたから、姑のやりそうな事だとは思いましたが、それにしても、パソコンにまで手を出すとは、いやはや・・・

しかも、姑はメールに書いてあったことに腹をたて、妹に抗議の電話をしたのです。

妹からは当然、非難轟々、文句の嵐です。

もはや、何がなんだか分からず、どこに罠が仕掛けてあるか分かりません。

目の前すら見えないありさまです。

しかも明らかに姑の精神状態に疑問を感じます

とうとう、その日のうちに、父の看病を理由に、実家に帰されてしまいました。

体裁よく追い出されたわけです。

私にとっては、病院が会社の近くだったので、実家との話し合いで、私が父の病院に行くことになっていたので、会社にいるほうがよかったのですが、予想もしない展開に、ますますストレスはたまっていくのでした。