神は小さな罪も容赦しない。
徹底的に取り除く。
そんなことを久々に痛感した今日この頃。
父の死と同時期に、
我が家では大事件が起きていた。
父は事件を知らぬまま、安らかに幸せそうに天に召されていった。
父の死が家族の人生の終止符を示すものではなく、
地上に残された一人一人の人生に、神は絶えず働き続けておられる。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。(伝道者の書 3:11)
伝道者3:11の言葉通り
神の美しい摂理の中ですべての出来事は起こっているのだと、
そう認めざるを得ない、そんなことを経験した。(詳細は割愛)
私は大嵐を通り、心の大手術を受けた。
心、考えにこびりついていた大きな偶像/罪が取り除かれた。
考え、立ち振る舞い方、意思決定に変化が見られるようになった。
人々を震撼させるような大事件を通り、数ヶ月が経った。
今や、そんな事件のことなど、すっかり忘れてしまったほど
平和で幸せな日々を送っている。
心の中の不純物が取り除かれて、より自由に、より快適になった。
だから、今、
仕事、私生活どちらもとても満足している。
感謝です。
そういえば、
「いい年齢なのに独身である」ということも、受け入れられるようになりました。
多くの独身女性がそうであるように、
独身であるということは、いつもどこか心に引っかかりを覚えるものがありまして、、
個人個人の人生に神の計画があると思いますが、
私の場合、神様から婚活はしないように示されているため、
神が私を独身者として召されているならば、それを受け入れ、
人生の結末も神に信頼し、今やるように示されていることだけに集中し、大切にすることを学んでいます。
今、私がやるべきことは、
今、与えられているすべてのことに満足し、大切にし、それを楽しむこと。
一生独身だったとしても、それに感謝し、満足できる生き方をすること。
私は意識的に満足することを学び、生きることをはじめました。
なりたい自分をイメージし、その逆算により
部屋をきれいにして、きれいにすることを楽しみ、
まわりの人たちを祝福するために、料理を丁寧につくることも学んでいます。
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そして、
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これ、「クリスチャンあるある」だと思いますが、
1つが完成すると、次のステップへ進めるってことが起こりました。
「楽しいなぁ!なんて幸せなのだろう!」
私は、そんなことを思いながら、
一人で快適な日常を過ごしていました。
私はすべてに満足し、感謝していました。
そして、そうこうしているうちに、心の中で
「あ。 私、もうすぐ結婚するのかもしれない・・。」
と、心の中で、何かを、なんとなく感じました。
この「思い」は、今まで感じていた多くの「勘違い」とは違う種類のもののように感じました。
この思いに気づいたのは約1ヶ月ほど前。
そして、
その「思い」は、まんざらでもなさそうなことが起こってきているような気がしてます。
今、大地震が起こる予兆に動物たちが騒ぎ出す、このフェーズにいる気がします。
今、起こりはじめた出来事なので、この先の展開はまだ読めませんが、
いよいよ伏線の回収ができる時が来るのかもしれません。
私は状況を冷静に見つめ、神様の働きを見て学び、楽しんでいきたいと思います。