1/1の能登半島地震から9日が経ちました。


うちの実家は、家は倒壊しておらず、母が日中は家の片付けに行き、寝泊まりは避難所のようです。


1/1からスマホはずっと繋がらず、避難前に家電で無事を確認しただけでした。

家電はずっと大丈夫だったみたいで、金沢にいる妹が日中何度か家電にかけて、母は居たら出るって感じで、それで安否確認してました。

(私は負担かと思い連絡を控えていて、妹が安否確認出来た旨を共有してもらってました。)


9日経って、物資も届き始めたようですが、、


能登半島って、金沢〜穴水町までは、恐らく2本しか主要道路が無いんです。

のと里山海道か、国道の下道。


穴水町より奥は、行く道が限られていて、田舎なこともあり、山の中や、能登町や珠洲市や輪島市の海岸周りは、本当にずっと道路の右が海なら左は山(崖)って感じの海岸線なんです。


主要道路が2本くらいしか無いのに、どっちも土砂崩れで塞がってるし、陥没してるしで、そもそも通れない。


また田舎特有だと思いますが、山の中で10〜20世帯くらいの集落が多く点在してます。

輪島市も朝市通りは海近くの市の中心部ですが、山間部に10世帯の集落とかも凄く多くて、こういう所が孤立集落になり、救援物資についても、大きくてアクセスの良い避難所からになるので、本当に高齢の住民の助け合いのみです。


私の母ももう70代になりますが、この地区では1番若い方で、自分も被災者でありながら、周りのお世話で精一杯の毎日を過ごしているようで、疲労とストレスが心配です。


本当は1月の3連休に帰省しようと思っていたのですが、車も無くライフラインが戻っていない中、私が行っても何も出来ることはなく、むしろ一緒に避難生活です。


なので早々に諦めましたが、結局3連休は一般車が多く緊急車両が通れないからと交通規制をかけてました。


もっと早く交通規制をかけて、緊急車両を優先して物資を届けてほしかったです。

それが無いから、親族等自ら届けに行ってるわけですし。


まだまだ安否不明者が大勢いらっしゃいます。

奥能登は本当に古い家屋が多く、我が家も今は倒壊しなかったけど、次の余震では分かりません。


お正月ということもあり、帰省で犠牲になられた方も多くいらっしゃるようで、本当に悲しいです。

我が家は、たまたま今年帰省していなかった、この差なので、帰省でご家族を亡くされた方のお話を聞くと本当に本当に心が痛みます。


また、私もこの土地で18歳まで生活してきました。

たまたま大きい地震が無かっただけで、25年前の私であったとしてもおかしくないです。


今、私には何もできることはなく、状況を見守っています。

母とも随時連絡を取っているわけではなく、1日1回、LINEで町のお知らせを一方的に送っている状況です。(負担と思うので、返信を求めることはしてないです。)

既読がついたら、無事なんだなって思ってます。


全ての避難所に、全員分の必要な物資が届いて欲しいです。


また、ふるさと納税は直接各市町村へ寄付されますので、よろしければお願い致しますm(_ _)m