16歳、青春真っ只中で脊髄梗塞を発症したポンタ。
まだまだやりたいことがたくさんあったポンタ。
負けず嫌いで諦めず最後まで頑張るポンタ。
小学生では、空手、サッカー、バスケットボールを習い、黒帯取得、トレセンやら選抜やら選ばれ、なんでも一生懸命頑張るポンタを応援して追っかけすることが、パパもママも楽しくてしかたありませんでした。
中学生では、バスケットボールに力を入れて、1つ下の弟とクラブチームで念願の全国大会に出場したり、その他に駅伝や応援団、生徒会長までこなしたポンタ。
バンドを組んでギターやベースも練習して、発表会では先生たちとセッションをして盛り上げたりもしていました。
なんでもやりたがる。
人が嫌がることも自分の為でもあると進んで引き受けてきました。
先生や友達からの信頼もあり、リーダーシップがあり、スポーツマンで勉強もゲームも手を抜かないがんばりやさん。
そしてまさに努力の人。
なんでそんなに生き急いでるんだろうと思っていたけど、今ならわかる気がします。
手足が不自由になる前に、神様はポンタにたくさんのチャレンジすることとチャンスを与えてくれたんだね。
現に今、その経験が活かされていると思います。
病気になんか負けない。
四肢麻痺なんかに負けない。
車椅子がある。
これからもやれることはたくさんある。
これからもやりたいことはたくさんある。
そんな、ポンタの気持ちが溢れています。✨✨
『身体障害者手帳1級』
貰った後、帰りの車の中で1人で思いっきり泣きました。
病気のことでポンタの前では泣いたことありません。
これからも泣くことはないと思います。
ある日ポンタはこう言いました。
『この状況を受け止めたわけではない。前の病院で同じ部屋の方に受け止める必要はないよとアドバイスもらっていたんだ。
まだ僕は16年間しか生きていない。
車椅子人生の方が長いんだ。
第二の人生を0からスタートだよ💪』
急性期病院で入院していた頃、同部屋の方が寝たきりで動けないポンタに声をかけてくれていたそうです。
ほんとに、私の知らないところでたくさんの方に助けてもらって、素敵な出逢いをしていました✨
コロナのせいで、ポンタの闘病をすぐ近くで支えてあげれませんでしたが、急性期、回復期の病院の先生方、看護師さん、作業療法士さん、理学療法士さん、ソーシャルワーカーさん、そして急性期同部屋の男性の方に心強く支えられて、闘えたんだと思います。
心から感謝しています✨✨
家族、友達、学校の先生方、ママ友、後輩たちから沢山の千羽鶴をいただきました✨✨
照れ笑いしたポンタ😊
とても励みになりました💪💪💪
そして、
『いつか家を出て、自分の暮らしやすい家を建てるのが目標。車の運転もしたい。』
と野望を話していました🤣
寂しいやら嬉しいやら
これからは脊髄梗塞の大きな後遺症(四肢麻痺)(直腸膀胱障害)と上手く付き合って、ポンタらしく生きていって欲しいと思います。
※『闘病記』と題しまして、倒れてから退院までのことを書かせていただきました。
読んでいただいてありがとうございます。
当時のこと思い出すと胸が痛くなることもありましたが、忘れかけていたことを思い出し整理できた気がして、なんだかスッキリしました
これで一旦『闘病記』は終了します😊
ひきつづき、ポンタと私とその家族の日常を書いていこうと思いますのでどうぞよろしくお願いします✨
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