おはようございます。2023年10月の良性発作性頭位めまい症をきっかけに長引くふわふわめまいに悩まされましたが、一年を経過したあたりから目に見えて楽になってきました。今も完全に揺れがおさまったわけではありませんが、めまいに支配されない生活に向け、着々と歩んでいます!抗うつ剤の服用はしていません。

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私が良性発作性頭位めまい症でぶっ倒れてグラグラめまいで苦しんだ一年間の間に、母はあっという間に要介護認定になってしまいました。今は自力で歩くことはできません。おしっこもオムツでするし、下手すると大の方も…。施設に入れて欲しい、という私たち子どもの願いも虚しく、母は施設を拒絶。父が老々介護をしています。たまに父も在宅介護の限界がくるようで、「特養を探している」というLINEが来たりしますが、一週間も経つと「お母さんの意思を尊重したいので、在宅介護頑張ります」と言ってきます。一週間おきに言うことが変わるのも、もう父も限界なんだろうなと思ったりします。今は週に三回デイサービスに行くようになったので、少し父の負担も減ったようです。

 

私は三人兄弟の中で唯一の女の子で、「介護は嫁ではなく娘にして欲しい」と常々言っていた両親から逃れるために、10年前実家から離れた場所に移住しました。大学時代に「介護は私がします」という覚書に、無理やり拇印を押させられたこともありました(両親がいない間に破り捨てましたが、それをチラつかされて、一時期は随分脅されました)。

 

今は実家から遠く離れてしまったので、親が介護のことをいくら弱音を吐いてきても、何も手伝いようもありませんし、この体調なので様子を見に行くこともしていません。幸い、一番上の兄が実家から車で15分のところに住んでいるので、頻繁に見に行ってくれているようです。

 

もし私の体調が今のようになっていなければ…

 

私は両親と遠く離れたところにいることに、罪悪感を感じたでしょう。罪悪感を感じて、頻繁に連絡を取ったり、遠い道のり頑張って様子を見に行ったりしていたと思います。「男」である兄に世話を任せてしまっていることにも、罪悪感をおぼえたと思います。

 

最近ちょっと実家に電話したけど、「なんのために女を産んだと思ってるのぉ」と母になじられました。

 

今の私は、自分自身が毎日生きることに手いっぱいで、親のためにどうにかしてあげなきゃとか、親を放置していることに罪悪感を感じるとか、そんな余裕が全くありません。いい意味でも悪い意味でも、Self-centered です。だけど、今の自分はこんな身体の状態にでもならなければ、自分らしく生きるという道も諦めて、罪悪感にまみれて、後々もっと苦しむ生き方をしていたと思います。

 

Self-centered に生きる。今の自分には、それが必要なのだと思っています。

 

お仕事も、以前はお客様第一で動いていました。お客様からやれと言われたら、徹夜してでも応えていました。でも今は、Self-centered に仕事しています。「(めまいが悪くならない程度に)できる範囲で」と常に軸を持っています。それに応じて、働き方も変えています。不思議なことに、Self-centered な働き方をしていても、以前とあまりパフォーマンスは変わっていないんです。

 

子育てについては、大きな学びがありました。私は発達障害の息子の育児に異様に「根を詰めて」しまうところがあり、なんといいましょうか、この子を一人前の社会人にするまでは、自分の精力を全て注いでやろう…と思っていたところがありました。小学校から中学校前半までは毎日勉強もべったり隣で見てあげて、ママさん家庭教師状態。幼い頃は息子が「疲れた」というほど療育にハマりました。ところが、ある日突然グルグル大回転めまいで倒れた…。そこからPPPDへ。私はそれまで息子の勉強やバイオリンにべったり並走していたのを、諦めることになりました。なんといいましょうか、無理やり息子の世話から引きはがされたという感じですかね。

 

最初は心配で心配で、そして申し訳なくて申し訳なくて気が気じゃなかったのですが、気付いたら自分で勉強もバイオリンもやるようになり、自分で志望校を決めて学習にも取り組んでいます。そして友だちもたくさん作り、週末は友だちとみんなで遊びに出かけていきます。私が体調が悪くなったことで、一気に息子の自立が進み、私の子離れも進んだのでした。

 

めまいになる前の私は、何に対しても一生懸命になり過ぎました。そして何に対しても手を抜けませんでした。手を抜くことに、ものすごく罪悪感を感じていました。何に対しても他者本位でしか動けず、自分の身体や精神がいつもボロボロになっていました。

 

今は、いい意味で Self-centered です。一日生きていくだけで精一杯。自分なりに仕事をして、家族のためにご飯を作って、それだけで精一杯。夜21時には床に入らないと生きていけない。毎日床に入ることだけを目標に生きている。その他のことは考える余裕が全くないのです。でも、今は考えない訓練をしているんじゃないかと思ったりもするのです。

 

一時期は、親が死んだら葬式にも出られないな…と思うほどのめまいでした。冷たいかもしれないけど、「今死なれたら困るな…」と本気で思っていました。今は通常の生活がおくれるようになって、本当にありがたいです。

 

しばらくは Self-centered で。親のことは父と兄に任せておこうと思うし、息子とは親離れ子離れが少しずつできるようにしていこうと思うし、仕事も自分の体調優先でやっていこうと思います。

 

 

今日は珍しくスタバで読書してきました。でもスタバは朝から混んでいて、やっぱりちょっと苦手かなあ。