エホバの証人はいい人が多い | 奮闘日記

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元JW2世の人生



わたしの祖母は反対者でした。

小さい頃、祖父母が遊びに来た時は、奉仕などはお休みして、集会だけに参加していたので、わたしにとってはこの期間は天国のようでした。

それでも祖母は、みっともないと言って、辞めるよう言っていました。子供を連れ回して可哀想だ、近所からどう思われるか考えなさいと。

祖父が小学生の時に亡くなって、わたしは学校を休んで祖父母の家に家族で行きました。エホバの証人の試練ですね。

もう親戚中から色んな事を言われていました。祖母は怒って『お父さんが悲しんでいる』って泣きながら訴えても、母は『人は死んだら意識無い』と言っていました。人の気持ちを顧みない残酷な言葉だと思います。

叔母もその時エホバの証人でしたが、旦那さんは未信者だったので、イトコ達は手を合わせていましたが、わたしの家族と叔母だけ、別室で隔離のようにされていました。

それ以降、祖母の反対は強くなりました。

暫くして道路拡張の為に祖母の住む母屋が取り壊しになって、祖母は長男(伯父)の家で同居となりましたが、嫁姑で上手く行かず、祖母は娘たち(母と叔母)が暮らしている市へ引っ越してきました。と言っても、居候です。

初めのうちは、母と叔母の家を1か月おきに行ったり来たりしていました。

生活サイクルを知ったこの頃が1番祖母の反対は酷くて、母は会衆の姉妹達に愚痴ったり、励まされたりしていました。ただ、うちは神権家族。父に対しては強く言うことができなかったらしく、父がいない時に祖母と母で口論のようになっていました。

祖母から『THYRRも行きたくなかったら行かなくていいんだよ』と言われ、母からは『おばあちゃんが分かってくれる日が来るように祈りましょうね』と言われ。

決して屈しなかった母。

わたしの家は、とにかく色んな兄弟姉妹が来る家でした。祖母を見ると、とにかく話しかけます。気遣いを示す(笑) なにか差し入れを持ってきてくれても『お母様も食べてくださいね』交わりのときは『お母様もどうですか?』スーパーで会えば『色んな事を手伝ってくれて助かってると娘さん言っていましたよ~素晴らしいですね』

そして祖母の反対は、徐々にゆるくなっていきました。


わたしが排斥になった後、祖母に『エホバの証人についてどう思っている?』って聞いたことがあります。

『ばあちゃんは入らないけど、あの人達はいい人が多いよね』

そう言っていました。


エホバの証人はいい人が多い
これってよく聞く言葉です。

信者でない人に接する態度は本当に素晴らしいと思います。関心を払って、気遣いを示して、褒めて、持ち上げて・・・そりゃいい人って思うでしょうね。

裏表見てきたわたしは、エホバの証人がいい人とはあまり思えません。