普通の親が良かった | 奮闘日記

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元JW2世の人生



月末月初の忙しさがやっと昨日で一段落して、ゆっくりした週末です。仕事の疲労感よりも達成感、休みのワクワク感は日曜日より土曜日の方が感じます(笑)

JWの頃は、進学や就職もしないで開拓者になるよう無言の圧力やら期待やらされていましたが、人の人生の選択を無責任にあれやこれや干渉する宗教、恐ろしいですね。

わたしの育った地域だけかもしれませんが、会衆の1世の兄弟(長老や僕)って、殆どの人が全時間の仕事をしていました。父の研究司会者の長老兄弟もそうだし、市役所勤務の長老もいました。

わたしが子供の頃って親世代は全時間の仕事を続けることに殆ど圧力かけられなかったと思います。

それに対して・・・2世に対しては真逆でしたね。若い頃の結婚に否定的なのも子供をつくることに否定的なのも、養うには仕事しないといけないからなのかな。

うちは貧乏でした。それはJWだったからではなくて、父は仕事が長続きしなかったからです。

トビ、自動車整備、建築関係、タクシー、カッティング会社・・・色々変わりました。そしてわたしが(多分)中3の頃に自営業を始めました。中3と言えば14歳か15歳くらいですよね。それまでに6〜7程仕事を変わっているんです。平均して2年しか仕事続かないって、どうなんでしょうか。

『理解がない』『イヤな思いをさせられて』『仕事の出来を僻まれて』

そんな言い訳を仕事を辞める度に交わりの時などに話すんですよ。そして『大変な目に遭いましたね』とか『よく耐えましたね』とか同情の言葉を掛けられて、さらに『でも、結果的に世俗の仕事よりもエホバを第一にされてすごいですね』みたいな褒め言葉をいただく始末。

わたしは父を心底軽蔑していました。

そんな父なのでうちは貧乏で、ランドセルもお下がり、中学の制服もお下がり、学費(給食費)?もずっと免除申請でした。高校はセーラー服だったので、どっかの姉妹からのお下がり。

子供ながらにとても恥ずかしかったです。周りにはJWの基準で貧乏だと周知されていましたが、実際は違いますよね。

母はパートで家計を支えてきました。

わたしが排斥になった後にコンビニで働き始め、今も辞めることなくもう20年以上になります。すごいです。その他にダスキンもしていて、それは30年位続けています。

パートしかしたことがない母ですが、働くという事に関して、母をとても尊敬しています。

父はとても弱い人間だったんだなと今は思います。自分を必死で正当化しなければ、現実を受け入れることができなかったんだろうなって。そしてJWではそれが罷り通るんですよね。

父はJWの教えを都合よく当てはめ、苦痛を伴うけど、もうそこでしか生きられない人間なんだろうなと思います。

母はJWになって大変な事もたくさんあったけど、なんだかんだで幸せのほうが大きいかもしれません。

常軌を逸した信者と聞けば父を思い出し、お花畑の信者と聞けば母を思い出します。



娘としては

普通の親が良かったです。