昨日のことが消えてくれない。余韻を生きているみたい。
何度も反芻する癖がある。自分の感覚、自分の言葉、相手から見える自分のすがた。相手の瞬き、呼吸でふくらむ胸、なんども、機嫌をうかがいながら、存在をたしかめるように、見つめた。

(お久しぶりです。ゆらぎです。昨日、ある人と初めてプライベートで遊びに行きました。そのことをどうしても忘れたくないので、自分のことになりますが、少し書き残しておこうと思います。口語でなくなりますがご了承ください。)

9時、駅に着くと、緊張で吐きそうになる。帰りたいな、いたたまれないな、と思いながら、彼の到着を待つ。
おはよう、と言うとき、慣れないメイクが彼の目に変に映っていないか気になった。

電車に乗る。通勤ラッシュで車内は混んでいた。わすれがちだが、春休みなのは私たち学生だけで、社会はいつもと変わらずに回っている。なんとなく肩身が狭い思いがして、だまってしまう。彼がぽつぽつと、近況をいつもの調子で話すのに、耳をかたむける。私はおかしな相槌ばかり打つ。

雨の後楽園は素晴らしかった。いつか小説に書きたい。遠くの景色に霧がかかって、異界に迷い込んだみたいだった。人間に化けた妖狐が出てきそうだと思った。桜の木に乗った雨粒は透明なつぼみのように光った。小高い山のようになっている場所がいくつかあって、石段を慎重に上ってたどり着く。いただきで目を閉じると、雨音に世界が支配される。傘に落ちる雨粒の重力を右腕から感じる。
彼が見せてくれる地図を頼りに、ぐるぐると歩く。園内は日本と中国の名所の再現のようになっていて、どの場所も、どこから見ても美しいように松や花が植えられている。きれいだね、と言うと、神妙な声色で「まぁよく作ったなって感じだよね、、」と返事が返ってきて、思わず笑ってしまう。こういうことを飾らない声で正直に言えてしまうところが彼だ。


彼がお手洗いに行きたいと言うので、お手洗いの前の小屋で彼を待つ。木造のベンチと屋根のみで造られた簡素な小屋。屋根が低いので、ベンチに座って姿勢を正すと、前の庭の景色が、屋根と柱で額縁にふちどられたようになる。傘をたたみながら、しばし見とれる。彼が戻ってきて、私の隣に腰を下ろす。一緒にお昼ご飯のお店を探す。彼が見つけてくれたお店たちの中から、選択権をあたえられる。反射的に、どうしよう、何を選ぶべきなんだろう、彼はどうしたいんだろう、と焦るけれど、息を深く吸って吐いて、彼がいつも通りの表情なのを確認して、恐る恐る、思い浮かぶままの考えを口にする。「これ……美味しそうだと思ったけど、食べた後もゆっくりするなら、こういうところがいいのかな」「確かに。じゃあ、ここにする?」「……うん。そうしよう」私が指さした喫茶店に行くことになる。園からは少し歩く距離。灰色のビル街の中、地図見ない派の彼の土地勘についていく。
 

店の扉を開けると、珈琲豆のいい香りがする。こぢんまりした店内は外より更に暗く、温かみのある橙色の灯りが木製のテーブルの上に一つずつともっている。レジの隣には使われていないレコードが埃をかぶっていて、店の端には営業中の看板がかかった囲炉裏と、小さな喫煙室がある。そのあたりを指さして、ここだけ切り取るとジブリみたいだね、と彼が言う。おすすめメニューのホットサンドに彼は珈琲、私は紅茶を頼む。藍色の模様が施された陶器のカップに入った夕焼けのような紅茶が目の前に置かれる。彼は珈琲を少し飲んで、やっぱ全然違うわ。と言う。私も自分の紅茶を少し飲むけれど、淹れたてのお茶は猫舌には熱すぎ、味はよくわからない。それでも笑顔でうなずいて、カップを置く。頭の中はいろんな考えでうるさいのに、私と彼の間には沈黙があり、その間をサンサーンスのピアノが満たす。
彼がまた、ぽつぽつといろんな話をはじめる。うちの近所の人が変わった人なんだよね。位置情報友達と共有するやつってなんのためにあるの。今日何歩歩いたかな。俺の母親の大学生の時のファッションがおかしくて。昨日読んだ本、オチがそれでいいのって感じだった。それぞれの話題の間には沈黙が少しあるけれど、ひとつ始まると長い。私の返事に彼は疑問をさらに重ねて、私がその答えをまた考える。油絵具を塗り重ねるような会話が繰り返される。昼食を終えたころには、私はこの空間に慣れ始める。前受験した学校がすっごくぼろくてね。去年教えてくれたあの先生、学校変わっちゃうんだって。大学入ったら、ピアノまた始めるか悩んでる。これ話したらいいかな、と家でぼんやり考えていたことを口にすると、彼は案外乗ってくれる。彼の思考が反映された返事のひとつひとつが、彼の存在と、彼が私と会話してくれているという事実を証明している気がして、うれしくなる。店に流れる音楽が変わり、彼が何の曲だろうと言う。バッハっぽいよね、と返事してから、バロック音楽って左手が伴奏で右手がメロディーじゃなくて、左手も右手もメロディーを担ってるんだけど、それを弾くのがすごく難しいんだよ。と話す。そうなの?と彼は驚いて、バッハの曲を調べ始める。おすすめのがあるんだけど、どれだっけ、と私が画面を覗き込むと、聴く?と彼が有線イヤホンの片方を差し出す。電子機器から導線へ流れる振動を、彼と共有する。机の下で膝の熱が触れ合い、そのまま静かになる。

 

時計が4時を回って、「そろそろどこか出ようか?雨も止んだみたいだし。」と彼が言う。何時ぐらいに帰る?と聞かれて、6時過ぎくらいに電車に乗りたい、と言う。少し申し訳なくなる。自分の家の門限はそれほどゆるくない。「俺の家はその辺すごく緩いから」と言われるので、「ううん、むしろ私の家族は平均よりもかなり守ってるほうだと思う」と返すと、「大事にされてるってことだよ。」と微笑まれる。大事にされすぎるのも考えものだよ、と言いかけたけれど、彼の目がただ優しいので、そうかもね。とあいまいに笑うだけにする。
 

外に出ると、確かに雨は止んでいる。古い住宅が並ぶ道は、さっきよりほのかに明るい。彼の提案する散歩道に従って歩きだす。左手が自然と彼の右手にからまる。彼の指は堅くてガラス棒のようだけれど、何故かやわらかな温かみがある。肌をあたためあいながら、静かなコンクリートの坂を上ったり下ったりする。目に入る看板の文字を無意識に読み上げたりして、自分の気持ちがかなりほぐれていることを知る。東大のそばを通って坂を下りていくと、景色がだんだん下町らしくなっていく。整備された道路と、何十年もそこにありそうな錆びた出版社の並びが、矛盾しながら独特な風景を作っていた。彼の家族の面白エピソードに笑ったりしているうちに、上野動物園の看板が見えてくる。フェンス越しに、わらの積まれた小屋を見る。さらに歩くと、不忍池が現れる。青緑色の水面を、黒っぽい鴨たちがつつつと滑り、時々もぐる。鴨って潜れるんだ、と彼が驚く。池をぐるりと一周して、まだ少し時間あるけど、もう少し観光する?と彼がたずねる。私はうなずく。博物館の並ぶエリアに行くと、誰かが屋外でミニライブをしている。広場には屋台が出ていて、いろんなにおいがたちこめている。人混みに気圧されて少し不安になる。彼はまっすぐ前を見ていて、隙間を見つけて進んでいく。その横顔を見つめながら私は手をひかれる。上野を横にずれていき、大通りを抜けてアメ横に着く。さっきの屋台より更に人が多く、においもたくさんして、人の声も大きかった。右と左の景色についていくのに精一杯になりながら、すごいね、と言葉にする。彼は財布の位置を確認して、しまった、ここで確認したら目をつけられる……と一人で困っていて、少し気が緩む。
 

御徒町の駅に着くと、時計は6時前を指している。彼が、もう一駅歩いてもいいし、帰ってもいいし、と言う。歩き疲れたのでどこか座りたいが、帰るのは名残惜しい。私が悩んでいると、彼がどっちでもいいよ、と声をかけてくれる。たくさん歩いたし、少し座りたい、と言うと、じゃあ電車待ちながら座っていようか、と彼が提案した。
 

ホームの椅子に腰かけて、手をつなぎなおす。こうしていると、高校生の頃の……ついこの間までのことが、ぶわっと蘇ってくる。彼と週に一度、一緒に下校していた。私は遠回りして彼の乗る電車についていき、彼の最寄り駅に到着すると、ホームにある椅子にふたりで座り、十分ほど同じ時間を過ごした。その間、彼はずっと黙ったままの日もあったし、ぽつぽつと世間話をすることもあれば、ちょっとした困りごとを話す日もあった。関係のあり方について話し合った日もあったし、打ちひしがれる彼を慰めた日も、正解がわからなくなって涙ばかり出る私の背を撫でてもらった日も、とても疲れて一緒に眠った日もあった。もう少し一緒にいたかった日、どうしたらいいかわからなくて困ってしまった日、話したいことを話せなかった日、話さなくてもいいかと思えた日。どれも大切で、なくしたくない、あたたかな経験。彼はどう思っていたのだろう。
 

「ねぇ。最近聴いてる曲とか、ある?知りたい」
 

私は勇気を出して彼に聞いた。今日、一番聞きたいと思っていたこと。彼は恥ずかしそうにふふっと笑って、スマホを取り出した。この人の曲が好き、と見せてくれる曲を、自分のスマホに写し取る。ゆらぎは何かある、と聞かれて、喜びとも戸惑いともつかない声をあげる。どうしよう、何聴いてるんだろう、わたし、とあせりながら、好きな曲を教える。歌詞がすごく好きなんだよね、と言ってから、彼に聴いてもらうには暗い曲すぎたかもしれない、好みに合わないかもしれない、と少し後悔もする。彼はへぇ、と言って、後で見るのリストにそれを追加した。
 

電車に乗る。少し会話もありながら、段々まぶたが重くなっていく。彼も、ねむい、と言う。寝てもいいよ、私起きてるから、といつもなら言ったと思うけれど、なんとなく今日は、お互いに甘えたかった。目を閉じては、少し開いて、彼の様子を見る。彼のまぶたが段々下がっていく。同じ熱の中に意識が溶けていく感覚を、しばし味わう。
 

彼の最寄り駅に到着して、ついたよ、と言う。彼は、ほんとだ、と立ち上がる。帰りもまた通勤ラッシュで、人込みの中を彼と歩く。駅のホームを抜けて、乗り換えの改札の前に出る。このホームも見納め、と彼が言う。「二度と乗らないってわけじゃないけど。大学は違うのに乗っていくから。」「じゃあ、しばらくお別れだね」

少しの沈黙と、少しの会話の交錯。彼が積極的に帰ろうとしないところに、私は少しうれしくなりながら、発車の時刻が迫ったのを見て、そろそろ、と言う。
 

「また会おうね」「また。」「さみしくなるね」「うん。さみしい。」
 

彼の目を見つめていられなくなって、ぎゅっと抱きつく。彼は不意をつかれたみたいで、うあ、と少し高い声をあげるけれど、遅れて私の背中を抱きかえす。頬をくっつけあって熱の名残を惜しんで、「元気でね」と言う。彼の瞳が微笑む。「大学も楽しくやっていけますように。」「そうだね。お祈り」「お祈り。」


最後の別れの言葉を告げて、私は小走りで、改札を抜ける。


先程よりも車両数の少ない電車にゆられながら、彼の表情、声色、温度、においを思い返す。窓の向こうは既に暗い。甦らせる感覚たちが、記憶なのか妄想なのか夢なのか、わからなくなっていく。
私と彼は付き合っていない。2022年の秋……高校二年生の時、彼は私が当時好きだったひとに告白した。彼と今の仲になるきっかけはその時だった。私たちが好きだったひとは、恋愛と友情と家族愛の区別がわからないひとであり、同時に、大きな問題を抱えているひとだった。楽しくてやさしいけれど、さみしがりやで不安定なそのひとに、私と彼はたくさんの時間や、こころとか、色んなものを割いて、好きと伝えてきたと思う。そのうちに私の精神がだめになって、私とそのひとの関係も一度崩れてしまったから、三人でいられた時間は一年もなかった。けれど、18年生きてきた中で、最も生と死の両方に近づいた時間だった。その間に彼は、自分は同時に複数の人を好きになれるかもしれないといって、手をつなぎたいと私にきいた。初めは彼が何を言っているのか信じられなかった。ただ、彼を傷つけてはならないとずっと思っていて、彼に対する気持ちが恋か、友情か、違う何かなのか、答えを出さなければと、悩み続けた。なけなしの勇気を何度も振り絞って、自分の気持ちを言葉にしようともがいた。それでも彼は、そんなのわからなくても大丈夫だと言った。好きな人が、自分を憎からず思ってくれてるなら、それで十分だと思う、そうした言葉を何度も、私が観念するまで伝えてきた。言葉だけ見れば人の気持ちを弄ぶ最低野郎だが、彼に悪気が一切ないこと、私を本気で思いやってくれていることは、一緒に過ごしている中で嫌というほどわかった。

私にとっては、相手が自分だけを愛してくれるかどうかよりも、自分の意見を言うのが苦手な私の緊張がほぐれるまで待ってくれるやさしさや、先入観なく互いの話を聞きあえるかどうかのほうが大切だった、ということになるだろうか。

だから今、私が彼に感じている気持ちに名前はないし、関係に定義もないし、約束も、期限も、ゴールもない。彼は今週もうひとりの好きなひとにも会いにいくし、私はそれを止めない(そのひとには私も先週会ってきた。仲直り済み!)。そうした関係が、初めはとても恐ろしかった。けれど、たくさんの話し合いを通して、考え方が少し変わった。今この瞬間が満たされているならそれでいいのかもしれない。どちらかの気持ちが変わってしまえばなくなってしまう脆い関係だけれど、それはきっと、恋人みたいに、約束がある関係でも同じなのだ。約束は、相手の気持ちを縛るものではなく、相手の気持ちに意見を言う権利を得るための道具にすぎないのかもしれないと、ときどき思う。

 

名前をひとつ付けるとするなら、彼は私にとって、支えとなる人だと思う。正直、彼の価値観には(恋愛観以外でも)理解できないところがたくさんある。何も気負わずになんでも話せる相手ではない。それでも、彼がくれる想いが、私にエネルギーをくれる感じがするのだ。不安や恐怖に心が支配されるようなときも、彼にしてもらったことを思い出せば、ひとりじゃないと思える。幼い考えかもしれないし、承認欲求、ひいては性欲の延長にすぎないかもしれないが、今は答えを出さないでおきたい。出さないでもいいということで、彼と合意したから。もう少しの間は、この関係を大切にしていたいな、と思う。このままでいられなくなったときはそのときで、自分の気持ちの変化を楽しめたらうれしい。
この関係のことは、私の友達の殆どに言えていない。だが、いつか、同じ境遇にいる人や、前向きにとらえて聞いてくれるような人に出会えたらいいなと思う。自分の話をやさしく聞いてもらえるような、やさしい人間になるために、私ももう少しがんばれたらいいな。