昨日購入した本はこちら。

作家の大平一枝さんの対談集。

私はできるだけ書店で本を買うけれど、たまに楽天やセブンネットで購入しています。

楽天のリンクを貼ることにしました。

 

 

 

ペラペラとめくって、気になるところを読んでいる。

 

その中でヨシタケシンスケさんが

「悲しんだり、怒ったりというのはニュースみたいな自分と関係ないことでもできるけれど、寂しいって思おうとしてできることじゃないのかな。」とおっしゃっていて、大平さんも「すごい発見だ。」と。

 

これを読んで目からうろこ。

「寂しい」という感情は自分が生きている実感からしか生まれない。

何かを経験したり、誰かと出会ったり別れたりする過程で湧いてくるもの。

他人事じゃなくて自分の人生を生きている証拠。

 

「寂しさ」はブラックホールのように人を飲み込んでしまう怖い物のように思っていた。

自分を寂しがらせないように気を付けていた。

何かが自分の寂しさを埋めてくれると夢中になった。

これがないと寂しいだろうなという理由で辞めずにいることがいくつもある。

(家族も仕事もSNSも趣味もほとんどがそうかもしれない)


「寂しい」と思うのは自分を生きている証拠だ。

「寂しさ」を紛らわすのもいけないことではない。

でも「寂しさ」を埋めてくれるものに執着しなくてもいい。

粒のように存在し、それが時々巨大化する寂しさという魔物。

一緒に生きていくのもいいし、時々は戦うのもいい。

逃げなくていい、否定しなくていい。

 

子離れの「寂しさ」をしみじみ味わうヨシタケさんの本。