昨日、「自分ウケを超える」という記事を書きました。

 

自分ウケを超える

 

自分で自分の毎日を面白がるとか、日々を楽しむって大切なことです。

でもそれだけで終わらず、次の一歩を踏み出してみるともっと世界が広がるということを知りました。

それは自分一人で何かを握りしめない、分かち合いと循環があります。

 

「自分が楽しむ」と「自分が楽しければそれでいい」は別です。

自分の言葉が人に届く時には、大なり小なり責任も生じます。

それは自分の本当の気持ちを伝えているのか、常に確認をしたいです。

自分に嘘がなければ、やましいことがなければ、周りとも対等に付き合っていくことができます。

自分が言葉に何を載せているかは自分が一番分かっています。

 

けんか腰じゃない?変なエネルギー乗っていない?

勝ち負け意識で人を見ていない?

 

アンチと言われる人たちもそうです。(本当に変なエネルギーの人と付き合うことは一切しないので、よく知りませんが)

 

表面的にきつい言葉を使っているかどうかではありません。

人への興味と関心のないままの会話はいくら本人が面白くても、「勘違い自分ウケ(勘違いご自愛)」です。

常にシビアに自分を見ていきたいです。

できるのはそれだけです。

 

私の世界に嫌いな人はいません。

ただ自分がどういう気持ちで過ごしていたいかという好みははっきりとしています。

だから嫌な気持ちになる状況は、丁寧に取り除いていきます。

 

家族間でもイライラを伝染させ合ってしまうことがあります。

イライラをぶつけられそうになった時は、私はきっぱりと「受け取り拒否」します。

それが自分への愛であり、周りへの愛です。

 

こちらの藤本さきこさんのブログ記事、4年前のものですが探してみました。

素晴らしいです。