娘には、学校の中で、うまく話が合わないことがあったとしても、自分の感情に蓋をして生きていく人間にはなってほしくない。

 

自分の好きを貫き、その「好き」で繋がれる世界で、幸せだと思う人生を生きてほしい。

 

周りの評価では無くて、自分の軸で生きてほしい。

周りの目では無く、自分の中のいい意味での「思い込み」が大切なんだ。

 

子供をみていると、時々「あぁ~なんか浮いているなぁ」と思うこともある。

でも、それは逆をかえせば、自分の「好き」をしっかり貫いているからであり、

誰かにすり寄っていない証拠じゃないの?

 

子供にどうなってほしいのか。

 

自分の気持ちに蓋をして、周りに合わせる人生を送ってほしいのだろうか。

 

いやいや、

自分の軸をしっかり持てる人間になってほしい。

 

私はそう思っていたじゃないか。

 

バイオリンの練習に時間がどんどん費やされていく。

 

私はどこかでこんな風に思っていたんじゃない?

「みんなと同じように遊べなくてかわいそう」「みんなと同じようなことをさせてあげられなくていいのかな」って。

 

 

ちょっとまって。私の言う

「みんな」って、、、だれ? よく考えたらその「みんな」は実は、たった数人ではない?たった数十人じゃない??

 

世界は広い。

 

ここまでバイオリンが好きと言っている娘。

たった7歳の歳でここまで「好き」と胸を張って言える彼女は誇らしいはずだよね?

 

これが別の子供だったら私はなんてそのお母さんに声をかけるだろう。

 

プラスの言葉だったら

「えーーーーー!そんなに熱中できる物があってすごいね!それ1つでいくらでも世界を広げてあげられるね」

 

マイナスの言葉だったら

「お母さんがやらせてるんじゃないの。。もう1つに絞っちゃって、、、もっといろんな世界をみせて上げて

その中で自分の好きを見つけさせてあげればいいのに」

 

ほら。

 

よく考えて。

そのマイナスに対しての言葉に、私はもう答えを持っていたんだ。

 

「どんなことがあっても、娘がやるっていうから。もうとことん付き合うって決めたんです。

とことんやって、いつか嫌いになったら、それはそれまで。そこで私がきちんと手を離してあげればいいだけのこと。

夢中だからこそ、得られない経験もある。でも、

夢中になってやりぬいたからこそ得られたことも沢山有る。そこには信じられないくらいの努力があり、

努力に意味の無いコトなんてない。

とことんやる前から、興味があることをやらせてあげないなんてもったいない。

もし彼女のバイオリンがやりたい!という言葉を無視するのだとしたら、

じゃぁ何だったら、私は彼女にOKを出すのだろう。」

 

「お医者さんになりたい!だから細胞について勉強したい」とか?

「星ってすごいね~、宇宙ってすごいね~。だから宇宙飛行士になりたい!」とか?

それとも「ケーキが好きだからケーキやさんになりたい!パティシエになりたい!」とか?

 

これって、、、結局私の中の『一般的』を求めていない?

ほらまた、だれかの見えない目を意識してない?

 

もっと、誰かもわからない見えない目じゃなくて、彼女自信をみようよ。

 

もっと自分の娘を信じようよ。

 

 

それで小学校で浮いてしまうようなら、それはそれでいい。

娘にはもっと違う世界があっているってことだよね。

 

今の小さい世界に捕らわれてはいけない。

 

娘を信じよう。

彼女を見よう。

 

そう、とことんやった先に、嫌いになることだってある。

やっぱり違うって思うこともある。

 

だったら、

「やっぱり違う」って本人が感じるまで、気づくまでとことん付き合おう。

気づかなければ、とことんやり続ければいい。

好きなものに出会えて、師匠に出会えたのであれば、こんなすばらしいことはないじゃない。

 

私の生き方・考え方のくせに、彼女を引っ張り込んではいけない。

彼女は、私ではない。

 

信じよう。彼女の生きていく力を。

こわがっているのは、私自身だけ。

 

私はついつい同調的なものにすり寄る傾向がある。

だって、一人がさみしいから。

でも、結局それで無理して私は疲れてしまう。

 

誰からも好かれる人生は、誰からも好かれない人生だ。

「いい人」はもう終りにしよう。

 

自分のいきたいように。

 

もっと自由に。