この一ヶ月間、ただ一つの映画を観るために10回ほど映画館に通っていた
同じく予告も見ていた中で……


「我々は宇宙人」
気になるなーーと


観たいけど 他に観ないといけない映画もあるからなー


いや 観よう
人生一度きりだし


⭐︎感想⭐︎

コレはすごいぞ…と腕組みしてしまった
映画館の予告と公開後の淡い口コミ、監督がすごく気合を入れて作ったらしいことだけは事前に知っていたけど、コレは魂込められてる

そもそも絵ヂカラがあるじゃない
所々で目元がアップされた時とか、不揃いなまつ毛の描写が細けーの

小学校の描写もめちゃめちゃリアルで、我々の過ごしてきた幼少時代の雰囲気がそのまま映し出されていた。翼の部屋にあったコラショの時計、度々流れるがんこちゃんとて、自分と近い目線で見れた気がする。(隕石ギャルはだいぶステレオタイプなガキだが)
暁太郎と小夏が体育館に侵入する場面とかさ、モロ私も友達とやったことあるからさ、すっっごいの、思い出が呼び起こされて
翼がコッソリゲームやってて、母親の帰宅音聞いて急いで片付けて寝たフリこくシーンも絶対皆やったことある。結局TVの温度でバレてたのもイイよね。

翼と暁太郎が初めて会合して遊んで、帰り際に「じゃあねー!!!」って言い返しまくる場面とても良いなぁとか思ってたんだけど、途中から流れ変わったね
翼の母親の厳しいしつけと暁太郎のちょっかいがヒートアップした結果ああなるってのはしゃあないなとは思うんだけど
爆発してノート引きちぎって道具箱ぶん投げるシーンとか、感情がそのまま動きとして視覚化されててスゲ と思った
なかなかですよ後半は
観てらんねーって感じだった

翼目線から暁太郎目線に変わってからもう何も擁護出来なくなった。
小夏ちゃんのこと待つために永遠に歯磨きしてたんだってのも分かったし、ちょっとした実は恋心も抱いてた。そんな中であの事件が起きるんだから…

机の裏を脚で蹴りまくってたシーンは胸が痛かった。
成長してからもずっと当時の噂話をされていて…
こういうところだよな田舎のヤな部分って
自分は田舎育ちじゃないけど、狭い地域内だとホントに限られたコミュニティしか無いはずだから

結果的に大学も行って就職して、晴れて社会人になった翼と、孤独で誰からも相手にされていない暁太郎の図
観てらんねー

こういう人が犯罪者予備軍になるんだろうなって思ったし、明らかに暁太郎の方が顔つきも体付きも幼くて…

限界突破して翼の居る場所に向かおうとする場面とか“筆”がスゴイ
荒々しいタッチで描かれる復讐のストーリー

再開したときの翼の他人行儀感とか、リアルな社会人の対応って感じなのに、暁太郎は昔のまんま
いやめっちゃ怖いけどね、魂を貫く槍で本当に殺しにくるんだもん

翼の「いつまで過去の話引きずってんだよ」ってセリフでダメージ負った
それはそうだけど今の貴方ならどうとでも言えるでしょうねと思う。
でも俺の生き方がお前に何の影響を与えたんだよ、ってのも頷ける言葉ではあるから、ホント困った。

結局暁太郎は、当時の事件の真相を知っていたヤツと腐れ縁という感じで仲良くやってて、タクシー運転手にもなった。冒頭の映像は成長した暁太郎だったのか。窓を伝う雨水が涙のように表現されていたのが印象的。
翼は結婚して子供もできて、良い人生のレールに乗っていた。
そんな二人が最後高速道路で並走する場面で、あの頃のように「じゃあねー!!!」と言い合い、別々の道へ進んでいく上からのカットが滅茶苦茶好きです。
その後に子供の頃の二人が笑い合いながら走るシーンを入れるのは反則だと思う。泣くよアレは。



門脇監督のことは一ミリも知らなかったけれど、作家の叫びというか魂というか、作品への情熱がとにかく伝わってきたのが良かった。
こういう映画が、観たかったのよ という最適解を出された気分。
ストーリー自体は全然違うけど、ルックバックを観た後と同じような喰らい方をした気がする。
人生の中で生まれる原動力とかわだかまりを形にしたという点で両者は似ているのかもしれない。だからタツキがこの作品を推薦していたのかも。

てかこの映画、かなり劇伴が少ないと思ったんだった。でも人生って実際に音楽が流れてる訳じゃないし、その分感情の動きとか環境でなってる音が際立っていたから、物足りないとは一切思わない。むしろお腹一杯になってる。


後味はイイ感じだったけど、過去に起きた出来事は消えないし、ずっと心の中で疼き続けるものだと思う。だからこの映画を観てすっげえ嫌な気分になった人も居ると思う。私も嫌な気持ちになったし、許せない気持ちにもなった。
それくらい人生の話が行われてた。
二度目を観るにはキツい作品かもしれないけど、映像表現で色々とまた見返したい気もする。



20261002

8廻天目ということで、流石に内容は頭にこびりついているし、台詞もなんとなく覚えてきた


が、今回はオーディオコメンタリー付きで鑑賞してきた

しかも無料で聴けるなんて…



上手く接続するかが不安だったけど、

「はーいみなさんこんにちはー鹿目まどか役悠木碧でーす(うろ覚え)」

が聞こえてきて安心した



結論から言うと、アフレコ時の感想だとかキャラクターの掘り下げだとか、私が思うまどか☆マギカについて余すことなく2時間喋り尽くすという、贅沢すぎる内容だった

収録自体は公開前に行われているらしく、劇場で聞きながら見れるなんて良いな〜と言ってた


今作からの参加ということで真綾は基本的に聞き専という感じで、千和とあおちゃんが怒涛の会話を広げていた。


ワス登場直前に、もうそろそろじゃない?とソワソワしだし、真綾がちょっとウケてて面白かった


あおちゃん的にはワスが真綾と聞いて「あぁーなるほど」と思ったらしく、新しいアプローチが来たなという感触


真綾「収録の時めちゃめちゃ緊張してたんだけど気づいた??」

悠木「真綾さんでも緊張するんだぁーって思った」


鶴岡監督からは「感じたままにやってみて」と言われ、ほむら的ニュアンスも残しつつの演技

出来上がった映像を見て、コレでよかったんだろうか…となったそう


千和の場合は、叛逆では通常状態から悪魔になったということでかなり憂いな雰囲気に変える必要があった。そして生まれたのが例の1stテイクで、絵(イヌカレーのコンテかな?)が怖かったからそうしたと言っていた。

しかし出来た映像込みで考えると、ほむらがもう戻れないところまで行ってしまったために抑え気味で撮り直した。

廻天では、より普通の感じに戻して演技した。


あおちゃんの場合、「まどかはこねくり回すほど違っていっちゃう」と言っていた。あまりにも透明度が高すぎるから。



印象に残った話がいくつかあって、

一つ目はスイーツビュッフェで紫丁香がオドオドするシーン

こういう年代の頃って、あんまり合わないなと思いつつ、その場の雰囲気に合わせることってあるよねーと言っていて…

居場所が掴めないというか、その場所に自分が居られない感じがするっていうのにスゴイ共感できた


そのあとシーンでまどかが丁香を追いかけるところで、TVアニメの頃のまどかと変わってないなとあおちゃんが言ってたのも印象に残ってる

魔法少女ではないけれどさやかについていき、杏子と共にさやかを助けようとしたりするまどかの精神性

そこにほむらも憧れたのだと語っていた



二つ目に、マルグリートの時代からも存在する魔法少女達のことについて

さやかの恋人の腕を治したいという個人的な願い(現代的)に対して、マルグリートの時代ではもはや生き死にに関わる願いであったことが、魔法少女達の苦悩として対照的である

そして、ワルプルギスの夜がほむらなのではないかと千和も疑っていたが、今回否定されてよかったーと言っていた。もしほむらだった場合、最大の敵である存在が自分と知った時の感情があまりにも辛すぎるから。

しかし、ワルプルギスの夜の正体もまた一人の少女の願いの果てに生まれた存在であるというのが

「まどか☆マギカ」だな…と思ったと語っていた


三つ目は、願いごとについて

この年頃だと、真綾は自身が癖っ毛であるのが嫌だったと言っていて、あおちゃんは毛が濃いのが嫌だと言っていた。

こういうコンプレックスは誰しも持っていて、私もすごく共感出来るなと思って聞いていた。

大人になった今であれば、どうにかお金の力でなんとか出来ることもあるが、子供の頃は自分でできることも限られているし、選択肢も少ない。

だからこそ、叶えられるのであれば願いとして解決させたいと思ってしまうのではないか…

今では些細なことであれ子供の自分にとっては嫌で仕方ないこともあるよなと。



舞台挨拶でも言っていたことについて

この13年の間で母親になったことで、自身の心境の変化があったと千和は言っていた。

大人になってからだと「契約」の方が重いと感じることの方が多いが、子供にとっては「約束」というものがあまりにも重いということ。

子供は、約束を破ってしまったときに自分が思っている以上にそのことを深く受け止め、泣いてしまうのだ。中学2年生のほむらにとっても、それは絶対に守り続けなければいけないことなんだろうと思う。

みんなを、世界中を救うのはまどかである必要はない。

仮にも、大事な家族、自分の子供、親を差し出して皆が救われるとしても…それを認めるわけにはいかないと。


やっぱ…コレなんよ…(突然の自我)

マルグリートの代わりにまどかがなる必要なんてホントはないんだよ…

家族から、友達からも愛されて育ってきたからこそ、みんなを助けたいという博愛精神がまどかにはある。

本編契約時の願いはまどかにとって、考え抜いた末の最善の内容であった。

それでも全員が全員それを讃えるかというとそうでは無く、セルマのようにみんなから愛されるまどかがキライ…と思う子も居ておかしくないのだ。



今回、3人の解釈を聞いて演じる側の解像度の高さに驚くと同時に、自分の中にもかつてあった感情を思い出すことが出来たような気がする。

少女時代の繊細な感情と初々しい思いが、まどマギには凝縮している。大人にはない激動がこの作品には秘められているのだとひしひしと感じる。



やっぱり私、そんなまどマギが大好きだ・・・・・



20260919

※廻天ネタバレあり




結末とトカゲさん電話の解釈のメモ



結末について、本編の最後でまどかが概念になってほむらだけがまどかを覚えている状況から

廻天の結末は何が異なっているのか


説1

・ほむら含め全員がまどかを覚えている

説2

・ほむらはまどかの記憶を失った(他の皆も?)


説1の解釈

・ほむらは悪魔の力をまどかから奪われた

理由↓

・パンフのデザインを見るに悪魔の力=まどかの存続であるために、通常版ではまどかが居なくなることでほむらの悪魔の力も消えるのでは

・EDの足跡は「魔法少女のほむら」の足跡で終わっている(途中まで悪魔の足跡)

追記:最後の靴の形が悪魔ほむらで、ピンみたいなのが魔法少女ほむらか。じゃあこの仮説弱まったかも。



説2の解釈

・円環の元へまどかが戻り、ほむらに幸せな夢(冒頭のトカゲさん電話や、度重なる記憶改竄への反発によるもの)を見せている

↓

悠木碧も語っていた、ほむらを人生の主人公として返してあげるため

「私はみんなを救いに行かないといけないし、ほむらちゃんも仲間がいるんだから、もう私のことは大丈夫だよ」的な… 


私の見解では説1派

流石に記憶全消しはさせないだろうと思うし

本編最後でリボンを渡すような子だからな


鹿目まどかであり続けられるように、ほむらから返されたリボンをそのまま付けているのだと思っている。ワス姉が「その忌まわしい枷を外してしまいましょう」と言ってまどかのリボンを外そうとしていた限り、赤いリボンには封印的なイメージもあるのかなと思うし。


なんか今回ちょっと日にち空けて見たら、円環に対して「ごめんね、そっちには戻れない」と涙流してるようにも見えて…ますます訳が分からなくなってきた。どっちとも取れるんだよな、ほむらへの涙かもしれないし。


最後の「もし誰かが望んだ世界じゃなくなったとしても許してくれる?(意訳)」ってセリフは、叛逆最後のほむらに対してのアンサーだろうし、そうなると今回はまどかが少しだけ世界を書き換えて終わったような気もする。

外側の砂漠の世界は現実で、ほむらがスヤスヤ眠ってる塀の中の場所は銀の庭で、幸せだと錯覚出来る空間として弄られたのかなと。

ほむらがトカゲさん電話の管理をしなくてもいいように。もう悪魔である必要がないように。


他の皆がその後どういう状況になったのかが全く分からないので、もしかしたらほむらと同じく夢見させられたかもしれないけど、どの道ほむらは孤独では無くなったのだなと感じて…そこがやっぱ叛逆との明確な違い。

まどかが円環に戻ってたらさやかも共に戻るだろうという意見を見て、確かにそうかもなって思うと同時に、今回ほむらとさやかは心を通わせられた気がするので、さやかが現世から居なくなるのは心許ないなんて思ってしまう。

杏マミなぎという頼もしい仲間が居るけども!


ワルプルギスも魔女達もみーんな、鹿目まどかの優しさにやられていたのさ…というのが廻天の肝だと思うし、悪魔として暁美ほむらがまどかを守ってあげて!と全員の共通認識として確立したからこそ、最後にあの一瞬でほむらの手元から離れてしまったのは呆気なさすぎる。

流石に尺足りてねえよ……


この結末を出して、まどかがどうなったのかはご想像にお任せしますってのは流石に許せない。廻天を見返すと明らかにまどほむの会話が少ないし、ワスマルグリにハグした後、ほむらに対しては名前を呼びかけるだけで、すぐに光の方向に身体を向けるのもさぁ!ほむらが力づくでまどかを渡さないと言っても、まどかは結局自身の使命を果たすために円環に戻っちゃうんですか?

やっぱここの納得出来なさがまどほむ民としては黙っていられないので…続編はいつまでも望み続けるよ。

きっとみんなで取り戻そうと奮起してくれるはず。暁美はもう一人じゃない。まどかも一人にさせてはいけない。



あとトカゲさん電話について


他の人の考察とかも読んで考えた結果、

トカゲさん電話=現状を維持するもの

と見ることが出来るんじゃないか


・冒頭でまどからしき人物がスカディ電話を握った瞬間血みどろになって溶ける

・まどか魔女顕現後に燃える

・最後ベルの音だけが鳴り続けている

という点で、幸せを取り持つための存在のように感じられた。

ベルの音が目覚まし時計にも聞こえるからこそ、最後ほむらが眠り続けているのとベルがなり続けるシーンは重なっているような気がする。