小説「新・人間革命」〉 勝ち鬨 三十三 2018年1月17日



 法悟空 内田健一郎 画 (6274)

 喫茶店での懇談会の帰り、山本伸一の乗った車は、大分市内の大洲総合運動公園の前を通った。立派な野球場もあった。
 伸一は、同乗していた幹部に言った。
 「あの野球場で、大分の文化祭を行ってはどうだろうか。青年を糾合し、立派に育成している姿を、また、信仰を持った歓喜の姿、民衆の団結の姿を、社会に示していこうよ」
 伸一が大分平和会館に戻ると、通用口前に、三十代から五十代前半の男性たちが待機していた。「大分百七十人会」のメンバーである。伸一は、一緒に記念撮影することを約束していたのだ。
 彼らは、二十一年前の一九六〇年(昭和三十五年)十二月、伸一が会長就任後、初めて大分を訪問し、県営体育館での大分支部結成大会に出席した折、場外整理などを担当していた役員の青年たちである。寒風にさらされながら、朝から黙々と「陰の力」に徹する彼らを、伸一は、ねぎらわずにはいられなかった。
 「生涯、信心を貫き通して、自らの使命に生き抜いていただきたい。人生は、二十代、三十代で、ほぼ決定づけられてしまう。ゆえに、これから十年間を一つの目標として、広布の庭で戦い、自身を磨き、高め、進んでいってもらいたい」
 そして、十年後に再び集い合うことを約し、七〇年(同四十五年)十月、福岡の地で再会を果たした。その時、伸一は、「このメンバーでグループを結成してはどうか」と提案し、「百七十人グループ」と命名。その後、「大分百七十人会」としたのである。
 以来十一年、三たび、伸一のもとに集ったのだ。皆、社会にあっては信頼の柱となり、また、学会を担う中核に成長していた。
 ひとたび結んだ縁を大切にし、長い目で見守り、励ましを重ねてこそ、人材は育つ。
 伸一は嬉しかった。彼は呼びかけた。
 「さあ、二十一世紀をめざそう!」
 皆、決意も新たにカメラに納まった。
 師弟の誓いを固めることは、未来への確かなる人生の軌道を築くことだ。


聖教新聞より転載