力走  三十八


山本伸一(やまもとしんいち)は、さらに、法華経(ほけきょう)の「普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼっぽん)」の、「普賢よ。若(も)し後(のち)の世に於(お)いて是(こ)の経典(きょうてん)を受持(じゅじ)・読誦(どくじゅ)せば、是の人は復衣服(またえぶく)・臥具(がぐ)・飲食(おんじき)・資生(ししょう)の物(もの)に貪著(とんじゃく)せじ。願(ねが)う所(ところ)は虚(むな)しからじ。亦現世(またげんせ)に於いて、其(そ)の福報(ふくほう)を得(え)ん」(法華経六七六㌻)の文を引いて指導していった。
「この経文は、末法(まっぽう)にあって、御本尊を受持し、信心を貫いていった人は、物欲に振り回されるような生き方を脱して、所願満足の境涯に入っていくことを述べられています。
信心を貫いていくうえで必要なのは、勇気です。
勇気とは、本来、外に向けられるものではありません。
弱い自分、苦労を回避しようとする自分、
新しい挑戦を尻込みしてしまう自分、
嫌なことがあると他人のせいにして人を恨んでしまう自分など、
自己の迷いや殻を打ち破っていく心であり、それが幸福を確立していくうえで、最も大切な力なんです。



高知の皆さんは、自分に打ち勝つ、勇気ある信心の人であってください」
高知支部結成二十二周年を記念する幹部会は、喜びの弾けるなか、幕を閉じた。
彼は、休む間もなく激励に館内を回り、屋上で開かれた茶会にも、参加者の労をねぎらうために顔を出した。
そこで歯科医師で県副婦人部長をしている樫木幸子(かしきさちこ)と、その母親、男子部の長男、女子部の長女と懇談した。
幸子は、一九五八年(昭和三十三年)の一月、学会に入会。
勤行は始めたものの、学会活動には消極的であった。
その翌年、夫を交通事故で亡くした。
息子は九歳、娘は五歳であった。
途方に暮れた。
自分の宿業を思い知らされた気がした。
“私が強くならなければ、試練の荒波に負けない自分にならなければ……。
また、人生には福運が大事だ。
この信心に励めば、自分を変えられるし、宿命も転換でき、福運をつけることもできるという。
よし、本格的に信心をしてみよう!”
彼女は決意した。
歯科医院を営みながら子どもを育て、懸命に学会活動に励んだ。



      =2016年5月9日・聖教新聞より転載=